新ガリバー旅行記(24) 16年が過ぎて【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 ペシャワール会の現地活動は、ハンセン病および類似障害のケア、同病が多い山岳無医地区の診療モデル確立を二大目標に掲げている。初めのころ、「最低十年は必要」と言っていたのが、十年どころか十六年を過ぎ、「第二期三十年」と豪語するようになった。「いい加減(かげん)なところで切り上げたら」という半ば呆(あき)れたような意見もないことはなかった。しかし、これには訳があった。

 最大の理由は、私たちの無き後、こんなことに本気で取り組む者が現地で誰(だれ)もいなくなることであった。日本では、ハンセン病患者が約五千名、それもほとんど高齢化し、菌陽性者は稀(まれ)である。ところが、現地アフガニスタンとパキスタン・北西辺境州の人口三千万の中で、七千名が登録されている。しかも、未治療新患者は増える一方である。信じがたいことに、まともにハンセン病の合併症治療ができる施設が、わがPMS病院(ペシャワール会医療サービス)以外に存在しないことだ。

 ハンセン病患者たちは、おおむね山間の寒村に多発し、ここがまた医療設備の皆無な地区が多い。そこで、世界有数の大山塊、ヒンズークシ山脈を相手の壮大な計画となった。パキスタン北部とアフガニスタン東北部の五つの診療所は、こうして始められた。蟷螂(とうろう)の斧(おの)でなければ冗談だと、事情を知る者なら言うところだろう。

 だが、これには実に多くの人々の協力があったのである。日本だけでない。現地の人々が意気に感じて合流、現在の活動を支えていると言える。少なくとも、現地の指導層がペシャワール会の方針を人に説明するとき、決まり文句のように熱っぽく語る言葉がある。

 「誰もがそこへ行かぬから、我々がゆく。誰もしないから、我々がする」

 このロマンが、宗教や国境を越えて、みなを突き動かしているのは事実である。百五十名の全職員がそうだとは言えないが、紛れもなく現地活動を支える精神である。確かに皆、家族を抱える生活者であることは逃れられない。しかし、「人はパンのみに生きるに非ず」とは、真実である。現地事業が健全な感性によって支えられていることを、あらためて思わずにおれない。

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