新ガリバー旅行記(26) 虫の声と音楽【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 日本に帰ってよかったと実感するものがなくなってきたが、例外はある。私の隠れた趣味の一つは、柄に似合わず音楽鑑賞で、音には結構うるさい。小さいときから押し入れにあった戦前のレコード盤をくりかえし聴いていた。まだ蓄音機の時代、片面に四―五分程度しか録音されていないので、何度もひっくり返した。曲目は時局を反映して戦歌が多かったが、落語・講談・クラシックをよく聴いた。

 父は頑固者で、「進駐軍は日本人を歌とスポーツで骨抜きにする」と固く信じており、ラジオでジャズなどが流れると怖い顔になり、プツリとスイッチを切った。しかし、クラシックだけは「軽薄なアメリカ文化」という非難から逃れたので、音楽と縁がつながった。

 その後、LPが登場、片面三十分以上の録音に驚き、再生機も電蓄からステレオになった。八四年にペシャワルに赴任するころには、CDの存在がささやかれていたが、LP盤とカセットテープで満足していたので、気にしなかった。九〇年に日本へ戻った時、レコードを買いに行くと、店員が「とっくの昔に店頭から消えました」とそっけない。無いものは仕方ない。CDに屈した。しかし、合点がいかない。確かに雑音がとれて音が奇麗(きれい)にはなったが、何となく平板に聞こえる。人間の可聴域が二〇ヘルツ―二〇キロヘルツ、理論的に聞こえない帯域の音をカットし、デジタル信号を処理して復元するから、いわば電話の声を加工したものだ。コンサートに行けば純音が聞けるが、咳(せき)ばらいも遠慮して行儀よく聴くのは窮屈である。音楽は人を楽しませるためにあるのだ。

 そこで工夫を重ねて、最近ではまあまあ満足できるほどになった。しかし、夏と秋だけは、いかに手をかけた音響システムといえども、山の中のわが家では精彩を欠く。「自然界の音響」が機械を圧倒するのである。虫の声、鳥のさえずり、草木のざわめき、これらがスピーカーと競う。自然の恵む音楽はカネは要らないし、音質の方も超一級、特に秋の夜は圧巻である。大袈裟(おおげさ)に言えば、自然の再発見である。

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