新ガリバー旅行記(27) 音楽職人【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 私が日本で住んでいる家は草と木に囲まれた田舎家で、二百年以上は経(た)つという代物。虫の声、鳥のさえずり、草木のざわめき、これらが音楽そのものであることは述べた。

 クサヒバリ、オカメコオロギ、エンマコオロギ、セスジツユムシ、キリギリス、スズムシ……と、夏秋の夜は彼らのオーケストラが始まる。中にはスピーカーから流れる弦楽器の音に合わせて鳴き始める虫もいる。昼間はセミや野鳥の声、風のそよぎが、耳に飛び込んでくる。

 しかし、意外なことに、こちらの方が耳に心地よいし、音響的に完璧(かんぺき)なのである。やれアナログだデジタルだ、それサンプリング周波数だ、DVDだというややこしいことを考えずに自然に楽しめる。当然のことで、そもそも自然音の模倣改造から音楽は出発し、ある学者によれば「シンフォニーは音の世界をも支配下に置く人為の極致だ」とまで喝破(かつぱ)している。これは、なかなか説得力がある。

 音楽愛好家にも様々(さまざま)あって、音響ルームの密室でガンガン聴く人から、日常の用事をしながらそこそこに楽しむ人まである。私の聴き方は子供のときから一貫している。音は良いに越したことはないが、自然かつ優雅でなければならぬ。「音楽は、どんな激情でも吐き気やめまいを催すような表現であってはならない。音楽は人の耳を汚すのではなく、慰める」(モーツァルト)という作曲家に密(ひそ)かに共感を寄せている。

 バッハもモーツァルトも、いわば「音楽職人」で、元来貴族・僧職者を喜ばせるものを作って口を糊(のり)していた。従ってサービス精神があり、人を不安におとしいれたり、いたずらに激情をかきたてるものは作らなかった。決して閉ざされた個人の自己表白ではなかったはずだ。その証拠にロマン派以後の交響曲など、大抵は自然の虫の声と比べると騒々しい。音楽は「芸術」になってから聞き苦しくなったのではないか、と私は考えている。だが、この道ではずぶの素人なので、個人的な感想だと断っておく。

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