新ガリバー旅行記(28) ペシャワルのホタル【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 私の少年時代の夢は一山を所有して、虫たちと暮らすことだった。これはわがファーブル先生の影響である。その後いろんなことがあって夢は実現せず、虫の観察はどれもこれも中途半端に終わって、モノにならなかった。虫は大好きだが、いまだド素人に近い。それでも興味だけは残っていて、自然が身近にある限り退屈しない。

 ペシャワルでホタルを見たときの感激が忘れられない。ゲンジボタルの幼虫は清流に棲(す)むから、あんな酷暑の砂漠にはいないと決めつけていた。赴任して五年後のある夏の夜、庭に出ていると、ハエのようなものが数匹、空中を漂うように舞っている。それが穏やかに点滅して光る。ライトのせいだと思ったが、いかにもホタルらしく見えるので、これも一興、日本の思い出でも嗅(か)ごうかと近寄り、どんな虫か見ようとした。ところが仰天、まさしくホタルではないか。

 正確な同定はしてないが、おそらくヘイケボタルか、その近種である。日本の同種は泥水の中にもいて、幼虫は陸に棲む。おそらく庭に流れる排水溝で発生したものらしい。人間は見ようとするものだけ見える。その後気をつけていると、いるわいるわ、おかげで暑い夏夜の退屈しのぎが増えた。

 日本でホタルが消えていったのは、一九六〇年代の前半。全昆虫たちがあっという間に日本から激減した。私が少年時代、夏の夜は電灯の下にいるだけで、さまざまな昆虫たちが家に飛んできた。虫たちの夜の饗宴(きょうえん)は消灯まで続き、カナブンなどのコガネムシ類がブーンと音立てて電灯をめぐり、カンカンとぶつかる光景はご記憶の方も多いだろう。私は眠るのが惜しかった。当時は蚊帳(かや)をつって、窓を開けっ放しにして眠っていたから、今考えると治安も格段によかった。田植え、稲刈り、菜種の収穫時は数日休校、手伝いを学校が奨励した。農家の子は長く休みが貰(もら)えたので、羨(うらや)ましかった。子供の家事手伝いが美徳、かつ日常だったころである。虫たちへの郷愁は、これらのおおらかな社会事情と分かちがたい。しかし、異国のホタルで日本を懐古するのは、いくぶんつらいものがある。

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