新ガリバー旅行記(29) 虫たちの挽歌【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 一九六〇年、日本は日米安保条約をめぐって国論が二分していた。私は中学二年生だったと思う。東京では国会議事堂が包囲され、東大の女子学生が死亡した。同じ年、福岡県大牟田市では三井三池鉱で、空前の労働争議が展開した。

 私は全くの政治音痴であるが、確かにあれが天王山であった。政治的な見解ではない。別の立場から日本の劇的な変貌(へんぼう)を眺めていたのである。まず、菜種など農産物の自由化が始まり、一面の菜の花畑が消滅した。十字草科の植物を食べるシロチョウ科の蝶(ちょう)たちが壊滅した。農薬でアメンボウ、ミズスマシ、ゲンゴロウ、ホタルなどの水棲(すいせい)昆虫が消えた。宅地造成と自然林の伐採で雑木の森がつぶされ、食草を奪われた虫たちが絶え、それを捕食するハチやクモなどの小動物が激減した。

 そのころ、池田内閣の所得倍増計画を半信半疑で聞いた。その後の経過は確かにそのとおりになった。所得はその倍にも十倍にもなった。日本中にアスファルトの道路網がはりめぐらされ、マイカーが走り、山林がずたずたに切り裂かれた。牛や馬が消え、糞(ふん)にたかるコガネムシ類がいなくなった。ファーブルの昆虫記に出てくるスカラベに形が似ている、ダイコクコガネに特別愛着があったが、この姿もなくなった。その一方で、「環境保全」と称して砂防ダムが次々と作られた。ダムを作ると土砂が海岸に堆積(たいせき)せず、自然の海岸線は後退する。そこで、ダムから土砂をとり、護岸工事や埋め立て工事をする。こんな茶番が、国を挙げて行われた。そして、大方の国民はこれを支持した。これが経済成長である。

 自然を愛する者なら、心よかろうはずがない。単に緑があって憩える公園は、活(い)きていない。自然とは、すべての生物を共存させるダイナミックな生態系である。この無数の植物連鎖を目立たず支えているのが、これまた無数の昆虫たちである。「昆虫たちの挽歌(ばんか)は、いずれ人間たちの挽歌になる」と、ファーブル先生なら言うところであろう。

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