新ガリバー旅行記(31) やさしさ【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 ペシャワルの犬はかわいそうだ。子供たちは犬と見ると、小石を投げる。野良犬はやせ細って、おどおどしている。子供はどこでも案外残虐なもので、自分たちの少年時代を振り返っても、我(われ)ながらぞっとすることをした。

 ナメクジに塩をかけて溶けるのを楽しむ、虫の羽や足をちぎって動き方を見る、小さな虫をわざとクモの巣にかけて襲われる所を観察する、こんなことは日常だった。もちろん、見つかると「無用な殺生だ」とこっぴどく叱(しか)られた。友達によっては、ザリガニとりの餌(えさ)にカエルを捕らえ、皮を剥(は)ぐのを無上の楽しみにしている子もいた。しかし、今思えば、こうして私たちは体で自然にふれ、「殺生」の意味を理解したのではないかと、最近考えている。おそらく小児の残虐さは、自然と生命への愛着の第一歩である。

 昔、ある友人が、親のいいつけで、せっかく取った蝶(ちょう)や蝉(せみ)を放させられていた。「どうして?」と尋ねると、かわいそうだからと言う。私の昆虫採集は悪趣味だとまで言われた。小動物へのいたわりだろうが、釈然としない。既に羽の破れた蝶は、やすやすと他の動物の餌食(えじき)になるし、狭いカゴの中で暴れまわったセミは、まともに飛べない。地上に置けばカマキリ、アリの大群、クモ、トカゲたちが襲いかかる。果たしてこれが自然への優しい配慮なのか。これは小さい時から大人に対する疑問であった。

 その後、この「やさしさ」は社会的な風潮となった。残酷な表現を子供の世界から奪い取り、童話の筋まで書きかえる。差別をなくすと称して、人を罵倒(ばとう)する言葉を禁止する。チャンバラは廃れ、ケンカも少なくなった。大人の世界では、差別語摘発が始まり、自然保護、動物愛護が叫ばれた。

 私はこんな「やさしさ」を疑っている。案の定、こんなことで人間の野蛮がコントロールできぬことは、最近の少年犯罪が雄弁に語っている。いじめもそうである。目先のやさしさで満足させ、自然とのふれあいが減って、感性が退化したせいだろう。

PR

九州ニュース アクセスランキング

PR

注目のテーマ