あの日、何を報じたか1945/10/26【箱崎・姪浜間は「東西大通り」へ 福博から消ゆ太閤以来の町名】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈福岡市では進駐軍から福岡市内の町名がまちまちでわかりにくいのでもっと分かりやすくしてくれと希望を申し入れてきたので米国流にならって一番街、二番街という呼称も考えられているが、まず箱崎姪浜間の電車通りを東西大通り、博多駅、築港間を大博通りとし各大通りに受持、何番街の町名を付けることになり豊太閤以来の博多の町名も全く変わることになった〉

 記事はこれだけ、約170字。福岡市内に「一番街」や「五十七番街」という名称が付けられることが計画されていたのか。どれほど具体的な話だったのかは、わからない。

 博多の旧町名が消えたのは1966年。福岡市の町界町名整理事業で、133あった博多部の旧町は24の新町に整理・統合されている。少なくとも、当時の進駐軍の希望がそのまま通ることはなかったようだ。

 現在の明治通りを「東西大通り」呼ぶ案も、定着しなかったようだ。後年もこの通りは「電車道」と呼ばれ、89年に福岡市の市政百周年を記念して現在の「明治通り」の名称がつけられた。

 一方、今に残る「大博通り」の名称はこのときに姿を現している。市が公式にこの愛称を付けたのは69年の市制施行80周年の記念事業。公募で一番人気だった「築港通り」を覆しての命名で、すでに地元に定着していたことを理由に、選考委員会の判断で決めたという。

 この日の紙面は、短い記事が多く詰め込まれている。見出しをなぞるだけでも、終戦2か月半の福岡の様子が少しうかがえる。

 〈食糧の確保に突進 福岡市の常会(市議会)決定事項〉

 〈生必品(生活必需品)の「○公」を撤廃 出回り促進へ近く自由販売制〉

 〈手ぐすね引く名砲手 来月中旬から玄海の捕鯨戦〉

 〈和製のDDT 創製に成功〉

 〈優先輸送を指令 大牟田の全トラックへ〉

 〈「電報」をご利用下さい 取り扱いを緩和〉

 〈米兵さんは「キモノ」がお好き おみやげに汐汲人形や風俗版画〉

 〈米軍の砂糖盗んで懲役一年〉 (福間慎一)

   ◇    ◇

 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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