中村八大編<484>ママの歌への変更

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 <こんにちは赤ちゃんお前の笑顔 こんにちは赤ちゃん お前の泣き声その小さな手 丸い目玉 はじめまして 僕が親父だ> 

 梓みちよの歌で大ヒットした「こんにちは赤ちゃん」のオリジナルの歌詞である。作詞家の永六輔が中村八大の長男、力丸の誕生を祝ってプレゼントした。 

 歌詞のように本来は「親父の歌」だった。NHKの「夢であいましょう」の「今月のうた」(1963年7月)では「ママの歌」となって発表された。 

 「お前」は「あなた」に、「丸い目玉」は「つぶらな瞳」、「僕が親父だ」は「わたしがママよ」へと歌詞が変わった。番組のプロデューサーが「お母さんの歌にして」との要望による変更だった。永が書き換えた。中村の曲はそのままだ。 

 NHKには放送後、「譜面が欲しい」との反響があったが、一方で「ママ」との表現について「アメリカかぶれ」との抗議もあったという。現在、パパ、ママという言葉は社会に広く共有されているが、当時はまだ、一般的ではなかった。永は自著の中で、次のように語っている。 

 「あの歌がきっかけになって、『ママさんバレー』とか『ママさんコーラス』という言葉もどんどん使われるようになって、『ママ』『パパ』が市民権を得ていった」 

   ×    × 

 中村は初めて作曲した「黒い花びら」(59年)から「上を向いて歩こう」(61年)を経て「こんにちは赤ちゃん」でポピュラー音楽の作曲家として揺るぎない地位を確保した。ヒットメーカーとして作曲依頼も殺到、多忙を極めた。売れっ子作曲家の生活の一端を書いている。 

 「長男が生まれ『こんにちは赤ちゃん』の歌がヒットしたりすると、もう我が家は放送、週刊誌の人たちが入りみだれ(略)座り、しゃべり、物を食べていく(略)盛大な仲間たちのたまり場に化してしまった」

 中村はその絶頂期に突然、休暇を取り、一家で米・ニューヨークに移り住んだ。数多くのコンサートやミュージカルに通った。

 「一年間の休暇は尋常な長さではないが、私には働きずめの長い期間があったのだから、このくらいのわがままは許してもらえるだろうと思った」 

 心身を休める移住ではあったが、中国・青島で生まれて成されたコスモポリタン的な性格、志向がその底流にあった。 

  =敬称略

 (田代俊一郎)

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