日田の偉人と出版圧力

西日本新聞 上別府 保慶

 アポロ11号の月着陸を世界中が見守った1969年のこと。今も続いている青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に、江戸時代の農学者の伝記「大蔵永常(おおくらながつね)」(筑波常治著、国土社刊)が選ばれた。

 大蔵永常という名は、この本が対象とする小学生はもちろん、多くの大人にも初耳だった。何しろ高校日本史の教科書に、江戸時代の三大農学者の一人と小さく出る程度だ。世間の関心は、翌年の万国博覧会と、その呼び物になる月の石へ向いていた。

 しかし大分県日田市とその周辺の小学校では、事情が違った。大蔵は地元の生まれだった上に、この本には過去の郷土の姿が細かに描かれていたのだ。

 大蔵はろうそくの原料を作るろう職人の家に生まれた。10代半ばのころに天明の大飢饉(だいききん)が起きた。幕府直轄地の日田にも難民が流入したが、一方では作物を買い占める商人がいた。大蔵の祖父は商人たちに掛け合って米を集め、難民にかゆを配った。大蔵も手伝った。

 豊かな日田も災難は人ごとではない。大蔵が生まれる34年前、近くの村々が凶作に苦しみ、年貢の減免を求めて一揆が起きた。幕府は代官を更迭して年貢を減らしたが、一揆を指導した庄屋ら3人は斬首された。

 農民の苦しみを見聞きして育った大蔵は、世直しの一歩として寺で読み書きを習い始めたが、父親は職人に勉学は無用だとやめさせる。大蔵は20歳になったころ、ついに家を飛び出して放浪の独学が始まった。

 肥後では、熊本藩がろうを取るハゼノキの栽培を奨励し、藩の財政だけでなく農民の暮らしも潤うのを見た。さらに薩摩藩では南の島に渡り、サトウキビの栽培法と砂糖作りを学んだ。大蔵には異郷でも人に解け込める人間力があった。

 大阪に住み着いた大蔵は旅で得た知識を「農家益(のうかえき)」など30冊以上の本に記していく。だが砂糖については、製法をどこで誰に習ったかは一切語らなかった。恩人が薩摩藩に罰せられるのを恐れたためだった。

 薩摩藩の家老調所広郷(ずしょひろさと)は財政立て直しのために、奄美大島や徳之島、喜界島で産する砂糖に着目。増産を命じて島民に過酷な労働を強いた。同時に品質を高める石灰の使用法などが外に漏れるのを取り締まった。

 大蔵がついに製糖技術の本「甘蔗大成(かんしょたいせい)」を書き上げ、これを知った薩摩藩の圧力で泣く泣く出版を断念したのにはそんな事情がある。薩摩藩の砂糖の収益は、倒幕資金となっていく。

 農民の生活を豊かにするために奮闘し、赤貧の晩年を送った大蔵は、桜田門外の変の1860年に江戸で没した。93歳だったという。読書の秋。郷土の方々に振り返ってほしい一冊。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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