新ガリバー旅行記(36) ハンセン病のルーツ【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 最新の研究によると、ハンセン病のルーツはインド亜大陸・西北部で、元来は局地的な風土病だったらしい。エジプトのミイラに実証されるハンセン病は、アレキサンダー大王の東征、インド攻略(前三二六年)以後で、感染したマケドニア兵が地中海世界にもたらしたと言われている。大王が侵入したのは、現在のパキスタン北部。ペシャワルは「ブルシャプラ(花の都)」と呼ばれ、当時から大都市として繁栄していたという。

 東方へは、中国から朝鮮半島をへて、日本に伝播(でんぱ)したらしい。仏教など、中国・朝鮮の文物とともにやってきた。先に述べた光明皇后の登場する天平時代(八世紀)には、かなりゆき渡っていたらしい。

 こうしてみると、現在のペシャワルやアフガニスタンから、世界中へ広がったのは本当のようである。なにしろこの一帯は、当時の世界貿易の一大中心のひとつであった。もちろんアレキサンダーひとりが西方への感染を担ったのではなく、おそらく戦争を含めた人とモノの交流拡大が、本病を広めた。

 ハンセン病拡大の歴史は、人間の欲望の歴史である。ローマを滅亡させたゲルマン諸部族がヨーロッパ内陸へ病を運び、北アフリカから大陸内部にはイスラム商人たちが道を開けた。南米大陸には、十六世紀以後、ポルトガル、オランダ、フランス、英国船団による大規模な奴隷貿易によってアフリカから持ち込まれた。その奴隷の数、二千万―三千万人以上というから、大変なものである。今でこそ「人権」を叫んでいるが、ヒトほど野蛮な生物はなかろう。

 脱線したが、私がペシャワルでハンセン病治療に従事しているのは、不思議なご縁である。らい菌も何も好んで極東の小島に来たわけではなかろうに…。私も好き好んで彼らの故郷まで乗り込んで、らい菌退治をしているわけでもない。顕微鏡を覗(のぞ)くと、深紅に染まる美しい菌に、いとおしささえ感じる。彼らがホントに二千年来の人類の仇敵(きゅうてき)だろうか。事情が分かれば分かるほど、ハンセン病問題は人災なのである。

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