新ガリバー旅行記(37) アヘン【中村哲医師寄稿】

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 パキスタンにおける阿片(あへん)の流行は一九八〇年ごろから始まった。一時は深刻な社会問題となった。国民の一割が阿片耽溺(たんでき)者というから、大変なものである。その直前、アフガニスタンではソ連軍の侵攻でアフガン戦争が始まり、パキスタンでは軍事政権下で禁酒政策が徹底された。ケシ栽培はパキスタン北部とアフガニスタンで普通にあったが、それまで阿片は辺境で鎮痛剤に使われる程度で、主に輸出用だったらしい。

 ペシャワルはこの阿片供給ルートの要(かなめ)である。郊外のバザールで堂々と販売していたし、初めのころ、さほど高価でなかったから、庶民のお手軽な社会逃避の手段となった。アフガニスタンではソ連兵の間で流行し、ゲリラたちが石油や弾薬を阿片と交換する姿は普通に見られた。いずれにしても、良いことではない。欧米諸国でもまた、麻薬は深刻な社会問題で、供給源の壊滅にやっきとなった。

 しかし、ケシを作る農民側にも、何分かの理はある。麻薬栽培の拡大は、現金生活の浸透と切っても切り離せない。わがPMS(ペシャワール会医療サービス)の五つの診療所はおおむね国家の目が行き届かぬ辺境にあり、例にもれず、一時盛んにケシ栽培が行われた。小麦の代わりに作付けすると、約十倍の収入が得られる。そこで、農民がケシ栽培で多額の収入を得、町のバザールで穀物を買うという珍現象さえ現出した。大声では言えないが、ダラエ・ヌール渓谷に診療所を作るころ、ケシの収穫期には職員たちも手伝って、農民と親交を深めたことがあった。

 麻薬撲滅が世界的な課題とされた一九九一年、畑のケシを刈り取ると国連が褒賞金を出した。この噂(うわさ)が広まると、何とケシ畑は至るところで急増した。褒賞金目当てにわざわざ小麦畑をつぶしてケシを植えたのである。これは豊かな農村地帯で多く、完全に自給自足の村では見られなかった。当たり前だが、そんなことをすると自給自足できなくなる。ケシ栽培はカネ社会の浸透。つまりカネの多寡が生活の豊かさを決定する、世界的な趨勢(すうせい)と不可分である。根は想像以上に深い。

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