新ガリバー旅行記(39) 識字率の神話【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 文化とは何だろうか。ふと考えたのは、ヒンズークシの山中を羊飼いに連れ添って単身歩いていた時だ。ある村で日が暮れ、一夜の宿を請うた。どこの村にもゲストルームがあって、旅人を快く泊める。だが日本人など初めてで、私を見ようと、まるで縁日の夜店のように人が集まってきた。その時私は高価なニコンのカメラを持っていたので、ふと不安になった。この住民たちが自分を殺して持ち物を売りさばいて山分けしても、誰(だれ)も分からない。わずかの間だったが不安に駆られて、見守っていたところ、お茶が配られ、誰かが石油缶の底を叩(たた)いて調子をとり、踊りが始まった。そのうち一団が輪を作って座り、即興詩を吟じ合って、歌会が催された。客人の歓待と自分たちの娯楽を兼ねるというわけだ。私は村人の好意に対して恥じ入った。

 貧しい自給自足の山中の村で、村長がラジオを一台持っているだけ。いったい娯楽というものがあるのかと怪しんでいたが、人は楽しみをどこでも工夫する。玩(がん)具がなくても、子供が遊びを見つけるのと同じだ。アフガニスタン、パキスタンには無数の詩人がいて、一部の作品は口から口へ伝承される。少し気の利いたものなら、即興詩をすらすらと作る。さしずめ日本の俳句や和歌に相当する。ペルシャ語もあるが、地元の母語はパシュトー語で、まだ書き言葉が完全には確立していない。私たちの病院に勤務する医師でもパシュトー人なら、掛け合いの詩で楽しみ合う。

 驚くことに、字の書けない有名な詩人もいて、相応(ふさわ)しい尊敬を集めている。読み書きができないのを恥じることなく、軽蔑(けいべつ)することもない。字が読めると自称する者でさえ、ペルシャ語の証文などが扱えるだけである。先進国には識字率を文化的基準に考える向きがあるが、これは見識を欠く初歩的な誤りである。なまじ「教育」を授けて悪知恵を育てない方がよい。

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