新ガリバー旅行記(42) 他人の偏見【中村哲医師寄稿】

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 「鉄の女」と言われた元英国首相・サッチャー女史は、一九九一年十一月、ソ連が崩壊した時、奇妙な発言をした。「共産主義が倒れた今、次の敵はイスラム世界になる」

 当時、イスラム過激派の国際テロが盛んで、「さもありなん」との程度で理解されたが、ペシャワルから見ると、意味深長である。イスラム世界は、今でこそテロの巣窟(そうくつ)、野蛮の見本のように疑う向きがあるが、十世紀前後には、西アジアや北アフリカはもちろん、東欧とイベリア半島を席巻する一大文化勢力であった。そのころヨーロッパは、ゲルマン諸族の定着で中世封建社会の形成期にあった。イスラム文化の興隆したころ、現在の西欧は、いわば蛮族の巣窟だと思われたに違いない。

 我々(われわれ)が現在「ヨーロッパ」と呼ぶ同一性は、ローマ法王を頂点とするキリスト教が異教の神々をとりこみ、社会生活に宗教的規範を徹底させ、外に向かっては「教敵・イスラム」と対決しながら確立されたものである。これが本当にキリスト教かどうかの議論はさておき、ともかく現在の「西欧世界」は、その形成において反イスラムを根っこから引きずっている。その保守的思想は十字軍の面影が常につきまとう。宗教撲滅を掲げる共産主義に対抗する精神的ルーツも、十字軍である。九一年三月に始まる旧ユーゴスラビアの崩壊過程で、スロベニア・クロアチア独立にバチカンの支持があったことは良く知られている。西欧諸国が武器流入を事実上黙認したのが、内戦の始まりだった。

 奇妙なのは、日本までこのイスラム観が浸透していることだ。湾岸戦争に際して、九十億ドルを拠出して参戦したのに、国民の多くが疑問を持たなかった。「欧州情勢は奇々怪々」と言って辞めた昔の政治家の方が、もっと健全な感覚を持っていたように思える。「識(し)るを識る、識らざるを識らずとなせ。これ識るなり」である。かつて和魂洋才と言ったが、今や疑似洋魂、他人の偏見までわがものとするのは合点がゆかない。

関連記事

PR

バギーコンサート

  • 2021年11月28日(日)
  • 福岡市早良南地域交流センター ともてらす早良 チャイルドルーム

PR