新ガリバー旅行記(44) 親日【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 ペシャワルの人々は日本人に親しみを持っている。アフガニスタン、パキスタン全体が日本びいきでこのため私たちペシャワール会の活動がどれだけやりやすかったか、計り知れない。当のアフガン人さえ行けぬ地域で活動できたのも、行政筋が許可を与えるのも、JAPANという名を背負っていたからである。現地では、ちょうど日本人がスイスに憧(あこが)れるように「美しい平和な国」というイメージがあると同時に、「唯一西欧列強に伍(ご)すアジアの雄」という尊敬があったようである。後者の思い入れは特に旧世代で強く、軍人の間で日本はアイドルだという。実際、日本について、日露戦争、太平洋戦争、ヒロシマ・ナガサキなら、誰(だれ)でも知っている。

 これには歴史的な背景がある。二世紀にわたる英国の統治は、ヤワなものでなかったらしい。歴史書をひもとくと、インド亜大陸の植民地支配は、日本人の理解を超える苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)だったようである。明治維新後、日本もその真似(まね)をしたが、規模と残虐さにおいて到底及ぶところではない。ペシャワルは、英国支配に対する頑強な反骨が存在したところで、今でも人々の間では「アングレーズ(英国人)」が敵の代名詞になっている。パシュトー語で、「ロンドンに行け」が「死ね」という意味で使われる。

 敵の敵は友というわけで、受けが良いこともあろう。十六年前赴任したとき、太平洋戦争中に英印軍の下士官として従軍した者も、まだ社会の中堅に少なからずいた。中にはチャンドラボースの率いる印度国民軍に入り、ビルマ戦線で日本兵と行動を共にした者もある。「日本人はまれにみる優秀な戦士だ」というのが共通の認識である。無秩序な現地社会では、日本の秩序と勇気が称賛の的であることは確かだ。今はこれらも過去の歴史となったが、いずれにしても、我々(われわれ)の現地活動がご先祖さまの働きのうえにあることは否応(いやおう)のない事実である。

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