新ガリバー旅行記(46) 心気症【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 私が日本に戻って現地のことを述べても、ピンとくる者が少ない。一九九五年、日本は病原性大腸菌騒ぎの渦の中、「いったい何千人死亡したのか」とある医師に尋ねて、不快に思われたことがある。いわく、「君は大勢の現地の人々の死に比べれば、少数者の犠牲など取るに足らぬと言いたいのだろうが、人の命の大切さは数で測れるものではない」

 別に私に他意があったわけではなく、本当にたくさんの死者が出たと思って尋ねたのである。少数なら死んでも構わないと考えたことはない。ただアフガニスタン東部でマラリアが大流行した九三年、死亡者は数千の単位だったし、八八年のパキスタンの混乱期、カラチの市街戦では数万の単位で犠牲者が出た。昨年、病院近辺の村でコレラが流行した時、わずか三日の間に五十名以上の子供が落命した。アフガン戦争中は、さらに壮絶な光景が頭の中に焼きついて離れない。累々たる屍(しかばね)という言葉を戦時中の人ならば、現実感をもって想起できるだろう。

 日本では、死が巧妙に隠されているだけ、現実に直面すると恐怖心のみがいたずらに膨らんでしまう。私は職業柄、多くの人々の死にざまを見てきた。特にペシャワルに赴任してからはそうであった。人間の死が平等かと言えば、そうでもない。この十数年間、日本で現れてきた顕著な傾向がある。医師が「心気症」と呼ぶ、病気への不安が蔓延(まんえん)し始めたことだ。病の不安は死の不安である。人工的な死は、人工的な生と隣り合っている。母性や親子の情という人間の自然が置き去られ、「自分の身は針でつつかれても飛び上がるが、他人の体は槍(やり)で突いても平気」という人々が急増している。

 ここに奇妙な逆説がある。残念ながら、戦争や飢餓にたえずさらされる人々の方が、物怖(お)じせず、肝が据わっている。かつ、楽天的でもある。死が身近にあるからなのだろう。

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