あの日、何を報じたか1945/10/30【一日零時に人口調査 一人洩れなく申告 総選挙の基礎資料作成】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈来月一日に行われる人口調査を前にして一切の手配を完了した室井県調査課長は、今回の人口調査は選挙名簿作成資料にも使用されるので特に正確に申告するよう強調して左のように語った〉

 この年は元々、5年に一度の国勢調査が行われる予定だったが、戦争のため中止が決まっていた。一方で、戦時動員を目的とした資源調査法(1929年)に基づく人口調査が44年に続きこの年も実施された。統計局資料によると、調査の実施案は終戦後まもない8月30日に作成されたという。

 調査事項は▽氏名▽年齢(数え)▽男女の別▽本籍▽住所の5項目。紙不足の中、用紙は国ではなく、各市町村が見本に沿って印刷して世帯に配布。裏刷りでも認められたという。

 県調査課長は〈今回の人口調査は総選挙の議員定数ならびに終戦に伴う時局転換に応ずる諸施策の基礎資料として急速に実施するものである〉と語っている。選挙名簿を作る資料になるので〈雅号などを用いず、生年月日も正確に記入してもらいたい〉と求めている。

 調査は11月1日午前0時時点のもので、課長は午前8時までに作成して調査員の取りまとめに協力するよう求めた。

 終戦の混乱の中で行われた人口調査の結果は11月20日の紙面に福岡県分の発表が掲載されている。見出しは〈2、743、783人 女が十四万も多い 県の総人口 約三十万の減〉。福岡県の人口は、都市部で約41万人減少したのに対して郡部は約10万人の増加にとどまっていた。

 〈これは残りの三十万六千六百余名が県外へ疎開したり、あるいは戦災などで死亡したことを示している〉。福岡市の人口は前年から約7万4千人減の「25万580人」だった。

 75年後、福岡市の人口は約160万人に達している。45年の調査時はまだ、香椎や多々良、和白(いずれも現在の東区)、西区の周船寺(同西区)、南区の曰佐(同南区)などが編入されていなかったことを考えても、福岡の街の膨張ぶりがうかがえる。

 45年11月22日付の紙面では、全国の都市別人口の一覧表も掲載された。東京は277万7010人だった。 (福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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