譜面で鳴り響いたメロディー 島野聡 【追悼・筒美京平さん】

西日本新聞

 私が最も尊敬し、日本の音楽史上最もヒット曲を書かれたと言っても過言でもない筒美京平先生が天国へと旅立たれました。

 先生は1960年代から職業作曲家として活躍され、自身初のミリオンセラーであり初の1位獲得のいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、70年代には尾崎紀世彦「またう日まで」、ジュディ・オング「魅せられて」、そして80年代には近藤真彦のデビュー曲「スニーカーぶる~す」をはじめとする数々のアイドルの楽曲を手掛けられ、当時のアイドルブームを音楽面で支えて来られました。先生の楽曲なくして、当時のブームは成立しなかったのではないか? と思える位、テレビをつけると先生の楽曲が流れ、皆がアイドルに熱狂していたと記憶しています。

 私は大学卒業したての1993年からほんの少しの間、先生のお手伝いをさせていただきました。といってもまだ音楽業界では何の実績も無く、自信も無く、ただ運が良かったのだと思います。

   ◇   ◇

 お手伝いしたのは先生が作られた楽曲のデモ・アレンジ(レコードメーカー等のスタッフに聴かせる為に曲を編曲しブラッシュアップする作業)です。

 まず先生から譜面とごく簡単に作られたデモテープを渡されます。それを元にわたしはゼロからアレンジをして行きます。しかしこのデモテープがすごいんです。

 クラビノーバという電子ピアノ(ドラム等いろんな音が出せます)とダブルカセットデッキのラジカセで何往復かさせて作られています。ドラム、ピアノ、そしてメロディー、ベースみたいな感じで大体4~5パートを全て手弾きで修正なし、カセットに直接録音ですから、現代の様にアンドゥ(多重録音で直前の録音データのみを取り消すこと)でやり直す事は出来ません。全て一発録音です。音色もクラビノーバ内蔵の物なので、そんなに上等のものではありません。

 しかしです、このデモテープから聴こえて来る躍動感、圧倒的なメロディーの動き、アレンジのまとまり、若輩者の私がコンピューターを使って数日かけてアレンジしてもしても、どんなに音を積み重ねて豪華にしていっても、この最初のデモテープを超えて楽曲の良さを音に出来た! と思えた事は一度もありませんでした。

 今思えば、きっと先生の中では曲を譜面にした段階で、その曲の良さ、全体像、歌手の歌までイメージ出来ていたんだろうな! と。デモアレンジなんか必要なかったな! とほろ苦い気持ちになり、当時の先生の姿、やさしい笑顔等いろんな物がよみがえって来ます。

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 そんな先生の才能のすごさを感じる事ができるのが、1979年に大ヒットしたジュディ・オング「魅せられて」ではないでしょうか。イントロのあのフレーズ、そしてジェットコースターの様に上下に動く冒頭のメロディー、そして大きく展開するサビのメロディー、彼女の魅力を完璧に生かしきれています。当時は全てを頭の中で構築して譜面に落とし込まなければならない時代でしたが、もうその時点で先生の中では全ての音が鳴り響き、良い曲になる確信があったのではないでしょうか。起承転結、緊張と緩和といった音楽で最も大切な要素を別次元で表現できるのが超一流なんだなと今更ながらそのすごさを感じています。

 それからもう一曲、晩年に作曲された中川翔子「れいア・ラ・モード」。車のFMから流れて来て初めて聴いた時に、完成度の高いメロディーで、「いい曲を書く嫌な作家が出て来たなー」と心の中で思いましたが、帰宅して調べると先生の作品で、さすがだ、と納得したのを記憶しています。普遍性を持った先生の曲は時代を超えるんだなと。

 時代は2020年代に入り、昨今はコロナ禍で思う様に過ごせない日々です。こんな時こそ音楽の力で皆さんの心を癒やしてあげなさい! と先生に言われている様な気がします。残された数々の名曲を今夜もう一度み締めて、今必要な音楽を探してみようと思います。

 しまの・さとし 音楽プロデューサー、作詞・作曲・編曲家。1970年生まれ。熊本県八代市出身。明治大卒。明大在学中から、キャンディーズへの楽曲提供などで知られる穂口雄右氏の下で修行し、筒美京平氏のアシスタントや自身の音楽グループ活動などを経て独立。代表曲は作詞作曲したMISIAの「つつみ込むように…」。

◇作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんは7日、80歳で死去。

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