激変の中で「ぶれなかった」ものは 1945年、夏の153日間をたどって (2ページ目)

西日本新聞 オピニオン面 福間 慎一

犠牲無視「被害僅少」 福岡大空襲

 福岡大空襲後の福岡市民の表情を伝えた6月22日付の記事。<見つかった釜に大喜び 明朗・起(た)ち上がる戦災者の壕(ごう)生活>といった見出しや写真が示すように、「被害は僅少」を強調する内容だった。だが、実情は少なくとも2000人が死傷・行方不明となった。

交流演出原爆触れず 長崎に進駐軍

 米軍による被爆地長崎への進駐を報じた9月26日付の記事。骨董(こっとう)品店関係者の<アメリカの兵隊さんは浮世絵が大好き>、子どもに日本語を教わる米兵の<ジープの操縦より難しい>など、ほほ笑ましい言葉が続く。一方で、プレスコードの影響か、原爆被害には一行も触れていない。

「ヤミ市」に理解示す 街を覆う空腹

 <なるほど自由市場なればこそ何でもあるという市場が(中略)押すな押すなの賑(にぎ)わいをみせている>。10月10日付、福岡市内にあったヤミ市の活況を描いた記事。物資不足で市民が「空腹」を抱える中、記者は「違法なもの」として捉えず、むしろ無策な当局に批判的な論調だった。

 

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