手仕事が語る藤田嗣治 大串誠寿

西日本新聞 大串 誠寿

 乳白色の肌の裸婦像を描いた藤田嗣治は、世界的高名を得た数少ない日本人画家だ。

 名声への嫉妬のせいか日本では、一部からの中傷が絶えなかった。パリの道化、日本画技術を安売りする半可通、戦争画を描き連合軍にも取り入る変節漢といった類いだ。藤田は煩わしさを避け、夫人と共にフランスに帰化した。悪罵には取り合わず、時を惜しんで制作に打ち込んだ。

 藤田が去った後、日本にはゆがんだ風説だけが残ったが、2006年の生誕120年回顧展以来、公正な再評価が進んだ。先鞭(せんべん)をつけたのが近藤史人氏の『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社)だ。数多くの伝説に彩られていた画伯の実像を綿密な取材で明らかにし、03年大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 しかし同書の報告の一部は私に不可解な印象を残した。画伯は人形を愛玩(あいがん)し、夫婦の寝室に並べて一緒に眠っていたという。さらに画伯の死後、遺品から童女の古びた日本人形が見つかり、その着物には画伯が受勲した「レジオン・ドヌール勲章がしっかりと縫いつけられていた」というのだ。同書はこの謎めいた一節で締めくくられていた。

 後半生を夫婦二人だけでパリ郊外に暮らした藤田は、子どもを多く描いた。夫婦に子がない寂しさの表れとも受け取れたが、人形への細工は日本への暗い屈折した感情の表れとの印象を受けた。

 ところがその日本人形が、福岡市美術館で開催中の「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展に出品されていると知って驚いた。同展は名画と共に衣類などの縫製作品を展示する。藤田はファッションに関心が高く、パリ留学初期には裁縫師として英国のデパートで働いた経歴も持つ。折に触れて愛用のミシンで、日用品を手作りし、妻に贈っている。おそろいの手袋やマスクは仲むつまじく庭仕事にいそしむ姿を推察させる。後半生の暮らしは、日々の手仕事に彩られた温かいものだったのだ。

 不可解に感じた日本人形も実物を見ると愛らしいものだった。勲章は丁寧に作られたレプリカ。晴れの「受勲者」となった童女を見た時の夫婦の笑い声が聞こえてきそうだ。

 「私の考えを語るにしても、我々の人生はあまりに短すぎる。私の死後、私の絵がそれを語るだろう」と藤田は記した。手作りの品々は画家の優しい心根を語っている。

 事実、福岡市美術館の学芸員、岩永悦子さん(58)によると「人形の顔がさみしそうに見えたので付けてやろうと思った」という故藤田夫人の証言も残っている。

 (写真デザイン部部長同等)

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