追い求めた藍、光の表現 久留米絣作家の遺志継ぐ妻と長男

西日本新聞 筑後版 野村 大輔

 柔らかな風が耳納連山から吹き下ろす。福岡県久留米市田主丸町。刈り取られた稲田が広がり、畑に柿が実る。今年7月に64歳で亡くなった久留米絣(かすり)作家の松枝哲哉さんが、こよなく愛した土地も秋が深まってきた。業界で異彩を放った哲哉さんは何を表現したかったのか。10月下旬、その答えを求めて工房「藍生庵」を訪ねると、百か日を終えたばかりの妻小夜子さん(64)と、後を継ぐために帰郷した長男崇弘さん(25)が迎えてくれた。

 「哲哉さんが見た風景が絣になっているんです」。小夜子さんはそう言って窓の外に目を向けた。

 庭先では桜の花びらが舞い、野ウサギが雪の上を飛び跳ねる。近くの筑後川河畔へ出掛け、ススキをスケッチすることもあった。四季の移ろい、多様な風土が絣の図柄になった。

 星空も美しい。晩年は光の表現にこだわり、宇宙をも絣で描こうとした。最後に手掛けた作品が、今年の日本伝統工芸展で文部科学大臣賞に選ばれた「光芒(こうぼう)」。夜空のような深い紺地に、流星だろうか、白い絣の筋が伸びる。「光の大小、輝き、動きが着物の中で総合的に表現されている」と小夜子さん。光の表現の“完成形”と位置付けてもいい作品だろう。

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 哲哉さんをしのび、65回目の誕生日だった10月26日に福岡市で座談会が開かれた。親交のあった女性たちが小夜子さんとともに、哲哉さんが作った絣の着物を身につけて語り合った。

 九州国立博物館で文化財の保存修復に当たった本田光子さん(68)は、詩情豊かな絵絣に加え、「藍のグラデーション(濃淡)が美しい」と話し、多彩な藍を組み合わせたお気に入りの作品「煌(きらめき)」を披露した。

 哲哉さんは生涯、藍色を追求した。とりわけ中間色の「中藍」は、松枝家の代名詞とも言える。発色が良い水を求め、工房を出身の大木町から田主丸に移したのは、ちょうど30年前。当初は草木染を熱心に取り組んだが、やがて藍が持つ力を引き出すことに心血を注ぐようになったという。

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 「藍甕(がめ)が宇宙だな」

 哲哉さんは藍の染液が入った甕の中をのぞき込み、こう繰り返していた。単色に見える染液だが、職人の目には、青や赤、黄など藍に含まれるさまざまな色素が見えるのだという。

 今は崇弘さんが藍甕を管理する。崇弘さんは今年4月、勤めていた大分の会社を辞めて帰郷。携帯電話のビデオ通話を使い、病床に伏す哲哉さんに教えを請うた。わずか3カ月の指導だったが、「子どもの頃から家の仕事を手伝い、教わってきたことが全てだった」と崇弘さんは語る。

 工房に3冊のノートが残されていた。哲哉さんが付けていた藍甕の管理記録。崇弘さんはこれを読み込みながら、日々、甕の中の宇宙と向き合う。

 「光芒」を作り終えた哲哉さんが、その後の表現の展開をどう考えていたのか、母子は知らない。崇弘さんは「修業の中で見つけていきたい」と話す。

 取材の帰り道、西の空があかね色に染まり始めていた。夜が田主丸を包み、宇宙が広がっていく。この地で生まれ育った崇弘さんなら、哲哉さんの表現のその先を見いだせるはずだ。 (野村大輔)

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