「喜怒哀楽でくくれない表現を」写真家兼映像作家・横山ぶん【動画あり】

シン・フクオカ人(8)

 「瞬間」で、どこまでストーリーを表現できるか。若きクリエーターの挑戦はまだ始まったばかりだ。

 10月下旬、福岡市中央区のマンション一室。BGMのクラブ音楽が響く中、間欠的にシャッター音が響く。カメラを構える横山ぶん(30)が、ファインダーに鋭い視線を注いでいた。

 レンズの向こうには着物姿の女性。ドレスのように肌を露出し、ブーツで立つ。長い茶髪は左右非対称にカール、緑色のチークをさしている。眉間にツルの水引細工を着け、妖艶な視線をレンズに返す。

 「もう少し裾を広げて」「横向きで猫背になって。背骨を抜かれたように」「次は正面。内股で上体を反らして」。女性が声に応じ、ストロボが乱反射する。

 写真がパソコン画面に映し出され、4人がのぞき込んだ。「なるほど、そう来るか」「ばりよかー」。興奮気味にため息を漏らす。

 ヘアメーク、着物スタイリスト、アート演出家の4人は、会員制交流サイト(SNS)で横山の写真を気に入り、コラボを持ち掛けた。今回の作品はイベントや広告に活用するという。

 約6時間の現場はノーギャラだが、横山は気にしない。「最前線で活躍する彼らと感性をぶつけ合うだけで刺激になる」

撮影中、モデルとポーズなどを打ち合わせる横山さん(右)

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 映画好きの父親が集めた大量のビデオやDVDを、片っ端から見まくって育った。「銀幕に織り成す物語で世界観が広がる、最高のエンターテインメントだ」

 家族のアルバムには、大スター萬屋錦之介に抱っこされたスナップが残る。父がたまたま出会って撮ってもらった。映画作りの道を志す、背中を押してくれたお守りの一つだ。

 放送・映画学科がある福岡市の専門学校に進み、テレビ局でアルバイトをした。卒業後は東京の番組制作プロダクションや京都の東映撮影所で、テレビドラマの助監督を務めた。助監督はチーフ、セカンド、サードの3段階ある。下積み時代は、小道具を管理するサードだった。

 京都時代、ベテラン俳優の江波杏子に怒られた。食卓のシーンで茶わんを江波の左に置くと「あなた芝居を分かっているの? 右側にあるお茶わんを左手で取るから、こうやって芝居ができるのよ」。

 顔が破裂しそうになるほど赤面した。「撮影は役者と制作陣の真剣勝負。教訓になった」

 22歳で再び福岡へ。民放のドラマ3本に助監督として参加した。2本目で衣装やメーク、現場仕切りを担うセカンドに上がった。自信がつき、個人事務所を立ち上げて独立。しかし早々に「仕事」になったのは、写真家としての作品だった。

 野山、街角、人、表情に潜む感情-。ドラマ制作の傍ら写真を撮り、SNSや個展で発信するうちに、ファッション誌や広告、イベントの撮影を請け負うようになる。「作品を仕事につなげるのに写真は手っ取り早い。福岡はクリエーターのコミュニティーも身近にあるから」

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 もちろん今も、映画作りの夢を温める。地元アーティストのミュージックビデオ制作では、脚本に撮影、編集を自ら手掛け、監督も担う。肩書は「写真家兼映像作家」だ。

 好きな作家はアルゼンチン出身のギャスパー・ノエ。過激な暴力シーンが世界に衝撃を与えた「アレックス」(2002年)などを手掛けた映画監督だ。リュック・ベッソン監督の「レオン」(1994年)は初めて劇場で見た映画で、殺し屋(ジャン・レノ)に少女(ナタリー・ポートマン)が読み書きを教える場面は焼き付いて離れない。

 ノエの作風と、レオンのあの場面を原点に、創作に臨む上では「挑発とストーリー性」を重視している。

 「僕の表現が確実に受け手に届くよう刺激的に伝え、表情、動き、陰影に潜むドラマを自由に感じ取ってほしい」。写真、動画とも同じだ。

 いつか、人間くさい長編映画を作りたい。経験してきた恋愛や、幼少期を過ごした横浜や福岡の記憶を下敷きにしたヒューマンドラマだ。「喜怒哀楽ではくくれない、内面のいろんな感情を表現できたら。やっぱり僕、人間が好きなんでしょうね」。来年にも制作準備に取り掛かろうと考えている。

 映画が完成すればすぐに報告したかった、萬屋は97年、江波は2018年に他界した。「あの時の私です」。そう報告できるときが訪れたら墓前で手を合わせ、二足のわらじに磨きを掛けると誓うつもりだ。

 =文中敬称略(木村貴之)

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