「アンコールもあった」ビルマの日本兵楽団、捕虜生活の自由な時間

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(21)

 上半身裸の男たちが手にしているのはマンドリンやバイオリン、ギターなどの弦楽器。1945年のアジア太平洋戦争の終戦をビルマ(現ミャンマー)で迎え、捕虜となった日本兵たちの写真である。

 通信兵としてインパール作戦に従軍した古賀弥吉(嘉麻市)は、ビルマから国境を越えインドのコヒマで英軍と戦い、飢えと長雨に苦しみながら敗走した。途中砲弾の破片を受けた足はズボンもはけないほどに膨れ上がり、「本隊がさーっと行ってから、その後に杖(つえ)を突きながらとっことっこ行って、休む間もなく、ほんとに毎日…、そらもう死ぬような状態」だったが、戦争に負けるとは考えもしなかった。終戦時のようすは、映画「ビルマの竪琴」そのままだったという。

 古賀は英軍の下で1年8カ月の捕虜生活を送った。武装解除後も日本軍の指揮系統は健在で大きな混乱もなく、しばらくはビルマ人の家に分宿した。カレン族のインワイン村では村人とも交流し、交代で英軍の荷役作業などに駆り出される他は自由に過ごせた。村の娘と親しくなった者もいたという。演芸会もあった。古賀たちは竹を切ってきて集めた材料で楽器を作り、楽団の練習をした。

 「歩兵第百二十四連隊史 草むしぬ」に楽団のことが載っている。「第一回演奏発表の日がきた。『酒は涙か溜(た)め息か』『影を慕いて』等六曲が会場に流れた。戦友たちは耳をたてて聴いてくれた。アンコールもある程だった」。

 47年3月、待ちに待った内地帰還の日。英軍が支給した軍服・軍靴、新品の毛布などを背負い袋に詰め込みラングーン(現ヤンゴン)の港で乗船となった時、待ったがかかった。部隊に戦犯がいるので検査をするとの命令である。1列に並び、ビルマ人と英軍将校から一人一人尋問を受けた。幸い戦犯はいなかった。それから一月、ようやく広島県宇品港に上陸できた。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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