「三人寄れば」になっていない

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 「三人寄れば文殊(もんじゅ)の知恵」ということわざがある。説明することもないが「凡人が一人で考えて良い案が出なくても、三人集まって考えれば、知恵の象徴である文殊菩薩(ぼさつ)と同じくらい素晴らしいアイデアが浮かぶ」というような意味だ。

 議会制民主主義などという堅苦しい言葉で表現される政治体制も、つまるところはこの「三人寄れば文殊の知恵」をシステム化したものではないか、と考えることがある。一人より大勢で案じた方がいい。明治維新で出された五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし(全てを広く話し合って決めよう)」が日本の議会制民主主義の出発点だ。

 この「三人寄れば」の「三人」というのがまた絶妙である。意見の異なるAとBでは議論が平行線をたどりがちで、しまいにはけんかになる。三人目のCがいるから、双方の主張の良いところを取り入れ、極端に走らない現実的な結論を見つけることができる。

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 話が飛ぶようだが、今回の米国の大統領選をウオッチしていると、「三人」でなく「二人」であること-つまり「二大政党制」の欠点が浮き彫りになったように思えて仕方がない。

 米国政治は保守的な共和党とリベラルな民主党の二大政党の対立が軸だ。米国社会には妊娠中絶、同性婚、銃規制などを巡ってさまざまな価値観の対立が存在する。こうした対立がそのまま共和、民主両党の対立に投影されている。

 社会の対立をあおるトランプ大統領の1期目で「価値観の対立=二大政党の対立」は一層激しくなった。共和、民主両党の政治家や支持者は相手の言うことを聞こうとせず、嫌悪感をあらわに攻撃するだけだ。

 郵便投票を巡る混乱も、投開票の基本的ルールについてさえ両党で事前に合意できなかったのが原因だ。結果を認めない支持者による暴動も懸念されている。二大政党の対立激化と、それと相まって深刻化する国民の分断が、米国社会を危機にさらしている。

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 二大政党制を志向してきた日本の政治でも、同じような現象が見られる。

 2009年に民主党による政権交代が実現し、自民党と民主党の二大政党を軸とする政治の活性化が期待された。しかしその後の自民党政権復活を経た政治の現状を見れば、自民党と民主党系の野党による「お互いの全否定」に陥り、建設的な議論がなされない状況が常態化している。

 勝ち負けにこだわる議論では「悪夢のような政権」などと相手を攻撃することが優先され、案を持ち寄って最適解を探す機運が失われる。失敗を認める余裕もなくなり、妙な政策(例えばアベノマスク)も意地になって最後まで遂行してしまうような弊害も起きる。

 ネット世論の特性もあって、政権の評価を巡る国民間の議論はむやみに攻撃的になり、殺伐としてきた。政治の党派対立と国民の分断が相乗効果で進み、やがては社会を壊す-。米国で起きることはしばしば日本でも起きるから困る。

 二大政党制を志向する小選挙区導入による最初の衆院選(1996年)から来年で四半世紀。「三人寄れば」という古人の知恵を日本政治に生かすにはどうすればよいか。再検討の時期に来ているのではないか。

 (特別論説委員・永田健)

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