中村八大編<486>ブラジル音楽祭

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 バラエティー番組の元祖ともいえるNHKの「夢であいましょう」が終了するのは1966年である。約5年の間に作曲の中村八大と作詞の永六輔のコンビは「上を向いて歩こう」など多くの曲を世に送り出した。「上を向いて歩こう」は日本だけでなく、各国に広まったが、中村は「歌謡曲」という狭義な世界よりもっと普遍的な「ポピュラーソング」の確立を目指し続けた作曲家だった。 

 中村はこの番組が終わった年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ国際音楽祭(ブラジル音楽祭)に日本代表として招待された。中村は「大好きなブラジル人」と表しているようにこの国の人や音楽を愛していた。中村の長男の力丸は、中村のブラジル音楽への興味と共感について次のように語る。

 「特にそのリズムが持つ、譜面には表記できない演奏の場で起こる揺れとそれがもたらす高揚感、また、人々の生活に密着していることなどです」 

 ブラジル音楽はサンバ、ボサノバを含め伝統、ポピュラー、クラシック、ジャズなどの多様な音楽が融合している。自由と多様性に富んだ世界は中村が求めたものだった。 

   ×    × 

 中村はこの音楽祭では作曲した「私だけのあなた」(作詞・永六輔)を、オーケストラをバックに指揮した。歌い手は江利チエミだ。江利は60年にブラジルでリサイタルを行い、中村はその音楽監督として同行している。こうした縁があったものの、中村が江利を指名したのは力丸が「歌唱力、表現力」と指摘するように、世界に通じる実力を見抜いての起用だった。中村は最優秀管弦楽編曲賞を受賞した。

 翌年のこの音楽祭には日本から作曲家の服部克久が招待された。審査委員長は「ティファニーで朝食を」など映画音楽を手掛けた米国のヘンリー・マンシーニで、ゲスト歌手はアンディ・ウィリアムス。中村は前年の受賞を評価され、審査員の一人として席に座った。服部は自伝「僕の音楽畑にようこそ」の中で中村の胸中を代弁するように記している。

 「(当時の)米国のポップスの質の高さは明らかだった。このレベルに太刀打ちできるようにならなくてはいけない(略)僕にチャンスが訪れた」 

 服部の出品作は「ただそれだけ」(作詞・片桐和子)で、歌い手は北九州市出身の中尾ミエだった。中村の発案でアピールの一環としてホテルのプールサイドで日本組全員、浴衣姿でメディアの取材に応じている。この曲は5位に入賞した。

  =敬称略

  (田代俊一郎)

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