「災害の混沌伝えたい」普賢岳噴火を朗読 島原市元職員、日記を本に

西日本新聞 社会面 真弓 一夫

 1990年11月に長崎県の雲仙・普賢岳が198年ぶりに噴火して17日で30年を迎える。同県島原市の元職員内嶋善之助さん(67)は当時付けていた日記を基に、被災者支援に奔走した経験を本にまとめた。14日に朗読会を開き、噴火災害の記憶を後世に伝える。

 内嶋さんは10代から作家志望で日記を残し、市役所勤務の傍ら創作にも励んだ。90年の市制50年記念事業では、1792年の普賢岳噴火に伴う地震と津波で約1万5千人が犠牲になった天災「島原大変肥後迷惑」から生まれた民話を題材にした音楽劇も手掛けた。

 30年前の噴火は上演の1カ月後だった。翌年の「6・3大火砕流」などで44人が犠牲になり、終息宣言が出たのは5年半後の1996年6月3日。内嶋さんは避難所支援を担当し、時にあった怒声交じりの要望や行政の対応を日記に記録した。

 「普賢岳ダイアリー-日記に描かれた噴火災害の風景(カオス)」と題した本は、A5判で176ページ。噴火発生は土曜日で、当時午前中は勤務があった。外回り中の内嶋さんは、同僚の「対策本部はできるわ、電話はかかってくるわで役所が大騒ぎです」との連絡を受けたと記す。普賢岳については「この噴煙の上がり方は、かなりなもので今後どうなるか、全く不明。安心などしておれない」とつづる。

 「多くの人が『島原大変』の再来を心配した。(市幹部は島原大変を引き起こした)眉山が再び大崩壊したら、どうするかを懸念していたはずだ」。日記にその後に考えたことも書き添えた。大火砕流や土石流、それに伴い長引く避難生活など混乱する地元の様子を淡々とした筆致で記した。

 地元の舞台創作団体で活動しており、これまでも噴火の節目に、災害を継承するために自ら創作した詩や戯曲を上演した。14日に地元公民館で開く朗読会は「普賢岳のめざめ」と題して映像も交え、噴火初日の状況などを紹介する。

 内嶋さんは「かつてない災害に見舞われた当時の混沌(こんとん)とした姿を伝えたい」と話す。

(真弓一夫)

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