虹色の羽「一級品の証し」船原古墳馬具に玉虫装飾、14日から公開

西日本新聞 社会面 小川 祥平 今井 知可子

 福岡県古賀市の船原(ふなばる)古墳出土の「杏葉(ぎょうよう)」に使われた玉虫装飾は、新羅(しらぎ)を代表する技術で「一級品の証し」とされる。これまで九州では沖ノ島(同県宗像市)の金銅製帯金具が唯一の現存品。ただ祭祀(さいし)用に持ち込まれ、野ざらしのままだった帯金具に比べ、今回の杏葉は被葬者やその土地の重要性と結びつく古墳からの出土。盗掘の跡がなく埋納時の状態が再現できるという点でも貴重な資料といえる。

 法隆寺の「玉虫厨子(たまむしのずし)」など現存する古代の玉虫装飾は、多くが国宝に指定されている。今回の調査に関わった福岡大の桃崎祐輔教授(考古学)は「玉虫装飾は当時最先端の技術」としつつ「馬具がセットで一括出土しており、装飾馬具の全体像を把握するためにも貴重だ」とする。

 沖ノ島の帯金具は、新羅製の馬具の可能性もある。ただ一部が欠損するなど不明な部分が多く、制作地などの特定は難しい。船原古墳1号土坑からは少なくとも6組の馬具が出土。今後、玉虫杏葉がどのセットに属するのかを調べるほか、羽の分析などで舶来か国産か、いつ制作されたかを突き詰めていく。

 福岡県粕屋郡にはヤマト王権の支配拠点「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」があり、外交窓口の役割も担った。当時は新羅との緊張関係が続いた時期。朝鮮半島では王陵級でしか出土しない玉虫装飾と確認されたことで桃崎教授は「船原の主は外交のキーパーソンであり、新羅からも一目置かれていた存在」とみる。

 美術工芸の分野においての意義も大きい。新羅発祥の玉虫を使った馬具装飾技術は、次第に玉虫厨子(7世紀中ごろ)といった仏教美術、工芸にシフトした。今回の玉虫杏葉はその転換期のもので「空白を埋める資料」(桃崎教授)。謎の多い玉虫厨子の来歴を考える上でも価値が高い。

 古賀市教育委員会は2026年度に最終報告書をまとめる方針で、調査は「折り返し地点」という。今回の玉虫杏葉の確認は被葬者像をより鮮明にした。今後、さらなるピースが埋まることで、当時の社会、文化の状況が明らかになることを期待したい。 (小川祥平)

科学補った人の目

 船原古墳(福岡県古賀市)出土の馬具に新たに見つかった玉虫装飾。盗掘を免れ土中に密閉されたことで玉虫の羽がほぼ完全な形で残っていた。最新技術を駆使して形が浮かび上がった遺物から、第一級の考古史料を見つけたのは人間の目だった。

 同古墳では、通常、副葬品が納められる石室ではなく古墳そばに掘られた土坑(埋納坑)に約500点もの馬具や武器などが埋められていた。古墳は盗掘され副葬品の多くが失われたが、埋納坑は盗掘の痕跡がない。桃崎祐輔福岡大教授は「この時期の古墳で脇に埋納坑があることが想定しづらく、盗掘を免れたのでは」とみる。

 発掘方法も異例だった。手付かずで土中に密閉されていたことから、金属のほか朽ちやすい布や漆なども残っていると推測。土壌ごと掘り出し九州歴史資料館や九州国立博物館のエックス線CTスキャナーで撮影、遺物の構造を解析した。

 実際に土を落とした杏葉が古賀市に戻ってきたのは2018年7月。形やサイズを方眼紙に書き写す作業をしていた市教育委員会職員が、飾り板の下に「何かある」と気付いた。金属のさびとは違う、虫の羽の薄い筋目が見えた。再度のCT解析で、20枚もの羽がびっしりと並べられているのが映し出された。

 「まるで湧いて出るような遺跡」。調査担当者たちはそう表現する。土坑から国宝級遺物が次々に見つかり、CT解析で形状や材質が明らかになり、肉眼で新たな発見がある。「発掘は現在進行中。次に何が出てくるのか分からない」。担当者たちは声を弾ませる。 (今井知可子、小川祥平)

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 馬具は14日~12月20日、古賀市歴史資料館で公開される。

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