「負けました」と言うこと

西日本新聞 オピニオン面

 敗者が「負けました」と声に出して言うことで試合が終わる。それが将棋というゲームのルールである。

 「負けました」と認めるときの心境とはいかなるものだろう、と門外漢は想像する。プロでさえ葛藤があるらしい。将棋を始めて間もない小学生などは悔しくて「負けました」が言えず、盤を前に泣きだしてしまうこともあるという。

 谷川浩司九段は、この「負けました」について対談でこう語っている。

 「強い人は『負けました』をきちんと言いますね。(中略)一流の棋士はみんなそうです」

 「だんだん年齢が上がってくると、自分の子どものような年の人とも対局することになるので『負けました』を言うのはつらいのですが、これは現役棋士であるかぎりしっかりやらなければいけません。それがはっきりと言えなくなったらやめるしかないというような気持ちではいます」(東洋館出版社「将棋に学ぶ」)

 将棋関係者は、「負けました」を言うことが子どもの心を強くするとして、その教育的効果を指摘する。

   ◇    ◇

 話は変わって、米国人女優ハル・ベリーさんのエピソードである。

 彼女は2002年、「チョコレート」の演技でアカデミー賞主演女優賞を受賞した押しも押されもせぬ実力派だ。しかしその2年後に主演したSFアクション「キャットウーマン」の評判は散々で、ゴールデン・ラズベリー賞の「最低主演女優賞」に選ばれてしまった。

 この賞は映画ファンたちがその年の駄作を選ぶという意地の悪いイベントであり、ほとんどの受賞者は完全に無視する。しかしハル・ベリーさんは授賞式にさっそうと登場。トロフィーを手にスピーチした。

 「私がここに来たのは、小さい頃に母からこう言われていたからです。『良き敗者になれないなら、良き勝者にもなれない』」

 タフな人生観と懐の深さを披露した彼女は会場から大喝采を浴びた。彼女はその後も浮き沈みの激しいハリウッド映画界で活躍を続けている。

   ◇    ◇

 米国の大統領選はこれまで、敗北が確定的となった候補者が、負けを認めて勝者に祝福の電話をすることで実質的に終了するのが慣例となってきた。

 しかし今回トランプ大統領は、開票がほぼ終了して民主党のバイデン氏の勝利が確実になり、各国の首脳がバイデン氏と電話会談をする事態となった現時点(日本時間14日夕)でもまだ敗北宣言を出していない。「民主党が選挙で不正を行った」と根拠不明の発信を続け、政権引き継ぎの手続きも遅らせている。トランプ氏にあおられた熱狂的な支持者の抗議行動はやむ気配がなく、米国社会はさらに分断を深めている。

 トランプ氏は「負けました」を言う修練を積んで来なかったのだろうが、彼自身がどうするかにかかわらず、彼の支持者は「良き敗者」になることの意義に思いを巡らせるべきだ。

 有権者が選挙の結果を認めないようなことになれば民主主義の土台が崩れる。それでは米国の国民全員が「取り返しの付かない敗者」となる。ここは支持者一人一人が悔しさをのみ込み「良き敗者」になることで、米国の民主主義を危機の淵から救ってほしい。

 (特別論説委員・永田健)

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