中村八大編<487>万博のテーマソング

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 国際博覧会(万博)が2025年に大阪で開かれる。そのテーマソングを男性デュオの「コブクロ」が担当することになった。半世紀前の1970年の大阪万博でのテーマソング「世界の国からこんにちは」は大ヒットした。 

 <こんにちは こんにちは 西のくにから こんにちは こんにちは 東のくにから> 

 この曲は公式なテーマソングではなく、作詞は新聞社が一般公募したものだ。1万3千点以上の応募があり、その中から選ばれた作品だ。作曲は中村八大だ。この万博には音楽プロデューサーとして渡辺プロの渡辺美佐が関わっていた。中村の起用は渡辺プロと親しかったこともあるが、日本を代表するヒットメーカーであった実力への評価でもあった。 

 曲はレコ-ド会社の競作になり、各社は坂本九、吉永小百合、弘田三枝子などエース級の所属歌手を投入した。この中で抜け出したのは浪曲、演歌歌手の三波春夫の歌だった。ライターの速水健朗は「タイアップの歌謡史」の中で次のように書いている。 

 「六〇年代には次々と新しい音楽が生まれていたが、浪曲や民謡といった古くから愛されてきた音楽の人気は衰えていなかった」

 三波は1964年の東京オリンピックのテーマソング「東京五輪音頭」(作曲・古賀政男)を歌っている。各社競作で、本命視されていた三橋美智也を抑えて三波盤が最大のヒットになった。三波は東京オリンピック、大阪万博という戦後復興の象徴である国家イベントのテーマソングをヒットさせた。三波は「私の宝物」と語る両作品によって国民的歌手の座を不動にした。

   ×    × 

 中村は64年の米国・ニューヨークでの万博を移住していた現地で見ていた。長男の力丸は「この時の万博体験が曲作りに影響した」と話す。休息を求めた新天地での見聞が活かされている。

 「世界の国からこんにちは」の曲はヒットの成否は別にしても、三波盤と坂本盤はアレンジが違う。力丸は言う。

 「歌手の個性に合わせて修正を厭わないのが父のスタイルです」

 中村は「丁寧な仕事」を自分に厳しく課していた。「修正を厭わない」も「丁寧な仕事」の一つでもあった。「世界の国からこんにちは」など数々のヒット作はこの哲学の上に成立した。

  =敬称略

  (田代俊一郎)

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