「ごめんね、俺のせいで」消えた三つの心拍…妻と夫の苦悩

西日本新聞

復刻連載・私たちも、産みたい~夫が不妊の場合<2>

 診察室から妻(32)が出てきた。「やっぱり駄目だった…」。その表情は、今にも崩れそうだった。

 子宮に移植した三つの受精卵が、いずれも着床したのは一昨年の夏。エコーの画面上で三つの心拍が点滅した。だが、三つ子誕生の可能性に、驚きと喜び、そして少しの不安を感じたのはつかの間だった。毎週の定期健診のたびに、点滅は一つ消え、二つ消え…。9週目、流産の処置をした。

 車で家に帰り着くまでの1時間ほど、妻の涙は止まらなかった。夜、ベッドで寝ているときも、妻が背を向けて泣いているのが振動で伝わってきた。

 「私が安静にしていなかったから」。妻が後悔を口にするたびに、責められている気がした。元はといえば、自分のせいだから。

 「奇形や動いていない精子がほとんどです。自然妊娠は難しい」。4年前、精液検査をした産婦人科で告げられた。原因は不明。顕微授精での出産は可能と知り、不妊治療を始めた。

 睾丸(こうがん)を切って精子を採り出す手術の後は、激痛で3日間歩けなかった。2週間出血が止まらず、妻の生理用ナプキンを着けて仕事に行った。情けなかった。

 だが、その後の不妊治療の一切を引き受けた妻の痛みは、それ以上だった。

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 職場の同僚だった3歳下の妻は、人付き合いが苦手な方だった。交際のきっかけは、妻がげた箱に入れた「付き合ってくれませんか」というラブレター。朝礼でかわいいなと思っていた子だったから、すぐにOKした。3年後に結婚した。

 結婚から3年後に治療を始めた。初めて顕微授精で受精卵を子宮に移植したときは着床しなかったが、妻は「確率が高くないから、仕方ないよね」と比較的前向きだった。それが3回目で初めて着床すると、期待が高まった分、流産したときの落差は激しかった。

 昨年末までに6回の顕微授精で、3回の妊娠。いずれも流産だった。排卵誘発剤の注射代も含めると、1回で約50万円かかる。両方の親が資金を援助してくれたから、結果をその都度、報告している。治療中は妻に代わって、近くに住む母がご飯を作ってくれたりする。どれも妻には重荷なのかもしれない。

 以前は、つらい治療の愚痴をこぼしていた妻も、最近は「言っても仕方ない」と口数が減った。夫婦の倦怠(けんたい)期も重なり、あまり会話がない。性生活も途切れがちだ。「自然には子どもができない」と判明したことで、お互い何となく避けているのかもしれない。

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 病院に勤務している。仕事柄、同僚には不妊を打ち明けた。誤解されたり、からかわれたりしたことはない。とはいえ、不妊に対する考え方はさまざまだ。ある同僚は「治療の発達で多胎児や障害児が生まれている。小児科医を忙しくしている一因だ」と話した。

 主治医からは治療前、羊水検査を必ず受けると一筆書かされた。ダウン症など胎児の染色体異常を調べる検査。異常が分かれば中絶させられるかもしれない。不妊治療をしているだけで「倫理的にどうか」と批判されるのも違和感がある。

 そんな周囲の雑音より気になるのは、治療のたびに浮き沈みする妻の姿だ。昨年末「しんどそうだから、そろそろやめようか」と持ち掛けると、妻は「可能性がある限り続けたい。どうしても私がつくる家族が欲しい」と静かに言った。

 不妊が妻側の原因でないのが、せめてもの救いだ。「ごめんね、俺のせいで」と言えるから。そうでなければ、妻の落ち込みはもっと激しかっただろう。

 この記事は2011年3月12日付で、文中の年齢、肩書、名称などの情報は全て掲載当時のものです。

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 2011年、著書「私は、産みたい」で不妊治療を告白した野田聖子衆院議員が出産し、話題を呼んだ。あれから9年。少子化には歯止めがかからず、不妊に悩む夫婦は後を絶たない。この間、「家族づくり」を取り巻く環境はどう変化したのか。男性不妊を取り上げた当時の連載を読み返すと、答えが見えてくる。

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