「愛も美しさもない暗黒」火野葦平、死への思いつづる 死去4カ月前の原稿発見

西日本新聞 社会面 藤原 賢吾

 「花と龍」や「麦と兵隊」などで知られる北九州市出身の芥川賞作家火野葦平(1906~60)が、自ら命を絶つ4カ月前の心情をつづった原稿用紙が見つかった。これまでに公表された遺書には明確な動機はなく、臆測がささやかれていた。専門家は「初めて死を望む心境が赤裸々に書かれた新資料」と高く評価する。

 原稿用紙は1枚で、遺族が北九州市立文学館(同市小倉北区)に寄贈した葦平のノートに挟まれていた。9月25日と日付があり、「どうも健康を害してゐる。いつたふれるかわからない予感がしきりにする」と書き起こされている。葦平は59年6月ごろに高血圧症と眼底出血と診断されており、同館の稲田大貴学芸員は「59年に書かれ、体調不良から死を願うようになったのだろう」とみる。

 原稿用紙には「こんなに不安で、こんなに孤独であっては精神も心臓も平静であることができない」「生きる気力さへうしなはれて行くやうだ」と吐露。「自分が最大の愚劣だ。才能もなければ生活力もない」と自らを責め、「おれをカツオブシのやうにすりへらすものばかり」と周囲を頼れない心情もうかがえ、「死の予感」「愛も美しさもない暗黒」と言及した。

 当初、葦平の死は心筋梗塞と発表され、没後12年の十三回忌に合わせ睡眠薬自殺と明かされた。「ヘルスメモ」と題したノートに3通の遺書を書いたが、いずれも具体的な動機には触れず、周囲も思い詰めているとは受け止めていなかった。自殺が公になると、体調や経済的な問題、同郷で後進の松本清張の台頭による危機感、従軍作家として戦争協力への自責の念―などさまざまな説が流布した。

 亡くなる前日の最後の遺書(60年1月23日)には「死にます。芥川龍之介とはちがふかも知れないが、或(あ)る漠然とした不安のために」とつづっていた。今回の資料には「漠然とした不安」が健康状態に起因することがにじむ。流行作家の葦平には多額の収入があったが、地元若松と東京を行き来し秘書を雇うなど支出も多く、稲田さんは「健康を害して書けなくなることに生活不安を抱き、孤独感も募らせた。さらに自らの才能まで疑う負の連鎖に陥ったのだろう」と推し量る。

(藤原賢吾)

北九州で21日から展示

 原稿用紙は、葦平没後60年に合わせて21日から同館で始まる「火野葦平展」に展示される。

 

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ