「泥水がぶじゅぶじゅと…」噴火直後の普賢岳火口 元消防隊長が証言

西日本新聞 長崎・佐世保版 真弓 一夫

 雲仙・普賢岳が1990年11月に噴煙を上げて17日で30年。当時は爆発的噴火もなく、長崎県島原市の市街地からは二筋の白い噴煙が上る穏やかな眺めに映り、多くの人が96年6月まで5年半続く平成噴火の長期災害を予想できなかったという。当時や現在の同市関係者は災害の記憶の風化を懸念し、防災活動を継続することを誓った。

 普賢岳が噴火した際、島原地域消防本部の消防救急隊長だった坂本梓さん(88)=同市有明町大三東=は、初日に頂上付近に現れた九十九(つくも)島と地獄跡の二つの噴火口周辺まで登って写真などを撮影した。

 前日から宿直勤務中の坂本さんは明け方から「普賢岳で山火事かも」との119番を何本も受け、朝になり噴火と知る。噴火口は雲仙市側にできたが「島原市にも影響が出るかも」と心配して部下と入山。二つの火口をコンパクトカメラとビデオカメラで撮影し、消防幹部や鐘ケ江管一市長(当時)に状況を報告した。 坂本さんによると、約250メートル離れた所から見た九十九島火口は「白い噴煙が縦に上がっていた。煙突から立ち上る煙くらいの速さだった」。地獄跡火口は「ぶじゅぶじゅとガタ(泥水)が噴き出ていた」。辺りは硫黄のにおいが漂ったが「突然爆発して頭から(泥を)かぶる怖さはなかった」と振り返った。

(真弓一夫)

「節目に啓発活動を」

 当時市長の鐘ケ江管一さんの話 当時は噴火を観光の新しい目玉として期待する声もあり、多くの犠牲者を出す大災害になるとは予想できなかった。噴火の節目に市民の防災意識を啓発する活動をしなければ記憶が風化してしまう。

「風化させない」

 古川隆三郎市長のコメント 経済や市民生活を激変させた平成噴火を今後も風化させず後世に伝えるための事業を推進する。火山とともに生きる島原市として全国からの支援に応えるため、日本一の自主防災組織をつくり、防災・減災に向けた取り組みを進める。

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