被災しても古里はなお 小出浩樹

西日本新聞 小出 浩樹

 秋空が広がる車窓から見えるほぼ全ての家々が新しい。カラフルでモダンである。不自然なほどだ。

 JR東北線の快速列車で、仙台駅(仙台市)から石巻駅(宮城県石巻市)に向かった。1時間1分。三陸海岸沿いには古びた住宅や街並みは見当たらない。そこに「昭和」の風景はなかった。

 東日本大震災による大津波で家屋は流され、人々は歯を食いしばって再建した。今の姿は、その努力の末に生まれた。

 石巻駅で出会った会社員の男性(23)は当時中学1年だった。かろうじて自宅の骨組みは残ったが、道一本先では津波が無表情に友人宅をのみ込んでいったという。

 三陸海岸は、宮城県から岩手県を経て青森県まで総延長600キロ余に及ぶ。津波の常襲地帯で、近代以降は明治、昭和に見舞われた。

 それでも人々は再び居を構え、結果として悲劇は繰り返された。「言い伝えは知っていても現実感は乏しく、言い伝えでしかなかった」。男性は振り返る。

 正直なところだろう。私のような旅行者が「危険性は分かっていたはずだ」と言ったところで、土地の魅力を解さない者の後付けの理屈でしかない。

 三陸沖は世界三大漁場に数えられる豊かな海だ。大谷(おおや)海岸(宮城県気仙沼市)の道の駅で、「気仙沼カレー」を頼んだ。白く弾力性のある具は、剣のように鋭い口先を持つ名産のメカジキだという。

 目の前に広がる大海原は穏やかに輝き、足元に押し寄せるとは到底思えない。津波のことなど「信じたくない」という気持ちが立ちふさがるほどの名勝である。いや、だからこそ災害の伝承は必要なのだと自らに言い聞かせる。

 市の伝承館は、津波に貫かれた気仙沼向洋高の校舎をそのまま残していた。泥まみれの教室、教科書、パソコン。3階の教室に漂着し、天地逆さとなった車には言葉を失う。壁一面には小中生が付箋に書いた感想が並ぶ。<生きてる きせき><感じたのは人間の無力さ 力強さ>

 犠牲者1万8400人余を出した震災から来年3月で10年。昭和の影を潜めた街並みは、これから世代をまたぐ中で、ごく日常の風景になり、震災の記憶をも薄れさせるだろう。代わりに、被災者には見るのもつらい遺構が、多くを語り掛けるに違いない。

 人はなぜ、危険を承知の上で生まれ育った地に住み続けるのだろう。その磁力は、九州に数ある災害被災地にも通じる不思議な力だ。

 (特別論説委員)

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