九州の農、食、地域づくりに足跡 現場に学び続けた半世紀

西日本新聞 くらし面 佐藤 弘

 古里宮崎で盛んだった畜産研究を振り出しに、農業経済学から「農、食、地域」をテーマに研究してきた九州大名誉教授、甲斐諭さん(76)=食料流通学=が先月、9年務めた中村学園大(福岡市)の学長を退任し、顧問に就任した。「私の先生は農業者、流通業者、そして消費者。何を研究すべきか、現場の皆さんから教えていただきました」。そんな50年余の研究人生の足跡は示唆に富む。

 宮崎大農学部畜産学科を卒業した甲斐さんが、九大大学院に進んだのは高度成長期さなかの1968年。農業界では、米麦を中心に少量多品目の作物を手がける従来型の「デンプン農業」から、野菜や畜産などを選択的に拡大する「ビタミン、タンパク農業」への転換が進められていた。

 九州は日本最大の畜産基地。特に和牛の生産基盤となる子牛の繁殖牛経営は、当時から南九州で盛んだった。「ただ、その多くの農家は、山あいの土地で数頭の母牛を飼って子牛を出荷するという、零細な経営でした」と振り返る。

 地方の子牛市場や農山村を訪ねてはデータを集め、当時、九大に導入された大型コンピューターを駆使して子牛の生産システム効率化を研究。「郷里の農家の姿を思い描きながら、畜産振興の道筋を探りました」

 その後やってきたのが国際化の波。日本が工業製品を輸出する代わりに、農産物の市場開放を求める国内外からの圧力が強まった。

 生産者は安い輸入飼料を前提に大規模化や集約化で対抗した。所得向上と消費者への安価な食料供給につながった半面、身の回りで取れた飼料を家畜に食べさせ、ふん尿を肥料として土に返す循環を断つ結果に。大量のふん尿処理など環境への負荷が問題化した。

 「持続可能な農業経営には、収益性の追求と環境保全を両立させなければなりません。すべて市場原理に任せるのではなく、水や空気といった公共財を守るにはどうすべきか、です」

 ふん尿を適切に処理する施設への税金投入の正当性などを論証していった。

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 95年には、農業の基本方向や農業政策の重要事項について調査審議する、首相の諮問機関「農政審議会」の委員に就いた。

 東京に陣取る大御所が集う会合に、地方大学の助教授だった甲斐さんが、なぜ招かれたのか。「九州をくまなく歩き、企業的経営から小さな家族農業まで実態を調査してきた点が買われたのでしょう。子牛の保証基準価格をいくらにすべきかの議論でも、みなさん、現場の実情は、よくご存じじゃなかったですね」

 2001年、日本で牛海綿状脳症(BSE)が発生した折は、内閣府食品安全委員会のプリオン専門調査会委員に。食肉に利用できない部分で製造した肉骨粉を飼料に再利用したことで起きた、食の安全を脅かす問題。「いわばもったいない精神による資源循環の試みだったのに、脳の部位まで使ったことが裏目にでた出来事でした」

 適切に食肉処理すれば防げるため仕組みづくりに貢献したが、主要輸入元の米国とは温度差が。国内の生産、流通、消費の現場も見渡し調整策に心を砕いた。

 「農政審議会でもそうでしたが、米国と日本、中央と地方、業界と消費者などの間にある『情報の非対称性』を、どう解消していくのかが大切なのだと実感した日々でした」

 そうしたバランス感覚ゆえ、現在も、食育・地産地消ふくおか県民会議会長など、自治体などのさまざまな委員会に関わる。

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 九大退官後に招かれたのが、「栄養の中村」として知られる中村学園大。

 「台所に届く食材をどう調理して健康に寄与するか、それが『中村の食』の受け持ち範囲でした。そこに農や流通など台所に食材が届くまでの視点を加え、フードシステムの研究を充実させたつもりです」

 学長として、グローバルとローカル双方の視点で教育に力を注いだ。世界11カ国38大学と協定し、18年度は141人を海外留学に送り出した。

 一方、近隣九つの自治体などと連携し、耕作放棄地の活用など、地域が直面する課題に学生が触れる場を提供。近年は、そうした経験を評価されて自治体職員に採用される学生も。「地域を引っ張るローカルリーダーの人材育成にも取り組めたのでは」

 農、食、地域づくり-。培ってきた専門知識を今後に生かしたいと、近く食農地域研究会(仮称)を立ち上げる考えだ。

 「研究者だけでなく、行政や現場の人、マスコミなどと連携し、農業を元気にして安全な食を提供する方策、人々が生き生き暮らせる地域づくりを研究提言したいと考えています。皆さん、どうぞ力をお貸しください」 (佐藤弘)

 甲斐諭(かい・さとし)さん 1944年、台湾に生まれ、宮崎市で育つ。宮崎大農学部から九州大大学院を経て73年、同大農学部助手。助教授、教授を経て2008年退官(名誉教授)。同年、中村学園大の流通科学部教授に就任し、11年から同大学長。20年10月、退任。日本農業経済学会長、農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員など歴任し、今月3日に発令された秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。

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