『無法松の一生』男・松五郎よ、なぜ告白一つせず身を引くのか

西日本新聞 吉田 昭一郎

フクオカ☆シネマペディア(12)

 明治から大正の小倉(北九州市)を舞台に、粗野で武骨だがさっぱりして人情に厚い人力車夫、富島松五郎の姿を描く「無法松の一生」(1958年)。軍人の夫を亡くした妻子を献身的に支え続け、ともに歩み、ついにはその婦人を深く愛する松五郎。だが、なぜ、告白一つせずに身を引くのか。度胸の男なのに、どうしても納得できない。

 「世界のミフネ」こと、三船敏郎演じる松五郎は、迫力あるぎょろ目が慈愛に満ちた優しさに転じるところに味わいがある。陸軍の軍人だった夫を急病で亡くした良子(高峰秀子)と幼い息子が途方に暮れると、軍人と親交があった松五郎はおのずと、良子ら妻子を見守るようになる。

 大好きだったばくちや酒を控え、日常のあれこれ、こまごまと立ち働いては支える。情が移って当たり前だ。しかし、松五郎は最後まで良子との間の一線を越えず、慕情を断ち切る。息子の成人を見届け、さっと去るのはかっこいい。言ってしまえば、男の美学である。

 だが、良子の面影を、居酒屋からもらってきた酒のポスターの和風美人に重ねて眺めては酒に酔い、孤独の中で老いていく末路はまったく「無法松」らしくないぞ、と言いたい。「あの人のように何でも思うたことを平気でずんずんやる勇気をもたにゃあ、いけませんよ」。良子が松五郎を引き合いに幼い息子を励ますほどの男ではないか。なぜ「思うたこと」を伝え、求婚できないのか。

 岩下俊作が原作小説を書いたのは、日中戦争が始まった頃。夫を戦争で亡くす妻が出始めていたのだろう。急死の軍人の妻がすぐ再婚するのははばかられ、半ばタブー視する空気があったか。松五郎は悪名をはせた来歴に加え、学歴はない。人力車夫と軍人の元妻は不釣り合いと断ずる世間の偏見があったか。あるいは、死んだ良子の夫への義理立てが先立ったか。

 花火が上がる晩夏の夜の2人きり。もじもじし、汗を拭きまくって、思いを伝えられない松五郎。「俺の心は汚い。奥さんにすまん」なんて、青春劇でもあるまいに。今どきの女子だったら「いくじなし」と一蹴するかもしれない。

 本当かどうか、まあ好漢なのに失恋を重ねる「男はつらいよ」の寅さん(車寅次郎)は、松五郎がモデルとされ、名字の「車」は人力車夫の「車」から来ているとする文章を目にした。なぜ日本ではこの種の男に人気が集まるのか。たまには信じられないほどのハッピーエンドを見てみたいとも思った。

 運動会の独特の走りっぷり。小倉祇園太鼓の「暴れ打ち」。そんな場面の三船の松五郎は小倉の青空のように輝く。だが、一番実在を感じたのは、らっきょうをわしゃわしゃ食べていて、学校帰りの幼い良子の息子に「食うちみ」「おじさんのごと、強うなるけん」「辛抱して食うちみ」と食べさせては昔話を始める場面だった。

 1作目(43年公開)は国の検閲で一部が削除された稲垣浩監督の再映画化。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、リベンジを果たした。三船がどんな顔をして喜んだか、見てみたいと思った。 (吉田昭一郎)

※「フクオカ☆シネマペディア」は毎週月曜の正午に更新しています

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