名を捨てたその先は 河合仁志

西日本新聞 河合 仁志

 名を変え、トップを代え、その都度延命を図ってきたが、ついに国会議員は1人になる見通しだ。革新政党・社民党が重大な局面を迎えた。

 村山富市元首相を出した大分は、社民の牙城として知られる。国会議員4人のうち2人が大分を地盤とし、村山氏の政界引退後も高い得票率を誇ってきた。1996年の党名変更以来、ほとんどの労働組合が旧民主党に支持を切り替える中、大分では自治労を中心とする官公労が「応援団」の旗を振り続けてきた。

 今回も伝統ある老舗の看板を守り抜くのかと思いきや、党県本部は早々に立憲民主党との合流にかじを切った。西の“本丸落城”は、国会議員ばかりでなく全国の党組織にも影響を与えたことだろう。

 革新王国で何が起きていたのか。

 「もう、票が出らんのじゃ」。かつて村山氏を支えた自治労県本部の重鎮は、諦めにも似た声を漏らした。

 2016年の参院選。同本部出身で当時党首の吉田忠智氏が比例代表で改選を迎えた。党として全国250万の得票を目指したが、結果は153万。2議席獲得できず吉田氏は落選した。昨年7月の参院選で吉田氏は返り咲いたが、全国で104万票止まり。3年で50万票近く減らした。

 参院選比例代表枠は50。総得票数に応じ、ドント式で各党に議席が割り振られる。昨年の当選ラインは93万2千票。あと10万票減らせば当選者ゼロの可能性が現実味を帯びる。「支持者の高齢化を考えれば、現状維持も難しい」。党幹部の危機感は強かった。

 かつて「大分方式」と呼ばれ、組合員が一戸一戸を回って票を積んだ集票力にも陰りが見えていた。労組離れは進み、選挙のたびに運動員の確保に難渋した。県内の集票を伸ばしても、全国的な退潮傾向を考えれば先行きは暗い。「座して死を待つよりも、価値のあるうちに合流を」との声が次第に色濃くなった。

 党を発展的に解消し、リベラル勢力を結集せよ。村山氏も以前から「現実論」を唱えていた。立民の地方組織は必ずしも確立しておらず、拠点や組織体制を含め社民の実態をそのまま残すことも可能-。「名を捨てて実を取る」したたかな思惑も透ける。

 とはいえ、右から左まで政治信条も異なる議員が幅広く集う150人規模の政党で、護憲や脱原発などの政策をどう実現していくのか。合流する議員が問われるものは小さくない。何より、毎回「社民」に投じてきた大分の有権者の負託に応えるためにも、合流先で確かな地歩を固めることが求められる。 (東京報道部)

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