「親のエゴなのかも」不妊治療で3人目…夫婦の願い

西日本新聞

復刻連載・私たちも、産みたい~夫が不妊の場合<4>

 長男(5)の通う幼稚園の遠足で、ママ同士の会話に熱がこもった。話題は、2人目。

 「うちはもういいかな。1人でも治療が大変だったから」「あんなつらい思いはもうたくさんよね」…。

 長男のクラスには、不妊治療の末に生まれた子が少なくとも4人いる。会話の端々から、お互い何となく知っている。

 「今、3人目を頑張っている」と話すと、ママたちから驚かれた。「2人で十分じゃない?」

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 「確かに、人工的な方法にすがって3人も望むなんて、親のエゴなのかもしれません」

 顕微授精で2人の男の子を産んだ女性(39)は振り返る。「なぜなのか自分でも説明がつかないんです」

 夫は無精子症で自然妊娠は難しい。精子になる前の精子細胞しかなく、地元の産婦人科では「細胞に手を加えるのは倫理的にできない」と治療を断られた。精子細胞を使った顕微授精ができる専門病院に通い、2回目の子宮への受精卵移植で長男の妊娠に成功した。

 最も悩んだのは、主治医に勧められた羊水検査だった。当時は福祉施設に勤め、ダウン症など知的障害児たちとも交流があった。「異常が分かったら、私は中絶できるのか。毎日、この子たちの笑顔に助けられているのに…」。丸みを帯びだした妊娠5カ月のおなか。夫婦で1カ月悩んだ末に検査は断った。

 それでも顕微授精前に「精子細胞を電気分解して培養する」という医師の説明が頭にこびりついていた。「そんなことして大丈夫なのだろうか」。だから長男が生まれてきて、定期健診で「順調ですね」と言われるたびに、手放しでうれしかった。

 少しずつ心に刺さったとげは小さくなり、子育ての喜びが大きくなっていった。「きょうだいをつくってやりたい」と再び不妊治療を始め、2年後に次男を出産した。

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 3人目への挑戦は、上2人のときと状況が違う。一昨年、脳こうそくを起こして手術を受けた。頭に爆弾を抱える状況で「出産なんてとんでもない」とドクターストップがかかった。それでも諦めきれず、設備のそろっている大学病院で出産する、という条件付きで不妊治療の許可が出た。

 「命を危険にさらしてまで」と周囲からは言われる。だが、孫の誕生によって、それまで疎遠になっていた父母と再び頻繁に連絡を取り合うようになった。家族で夕食を囲むとき、長男が「みんなで食べるとおいしいね」と喜ぶ。そんなとき「もう1人いたら、私たちはもっと幸せになれるだろうな」と思う。「これってほとんど不妊症と関係なく、普通の親としての願いですよね」

 普段、2人が体外受精児であることを思い出すことはほとんどない。

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 昨年末、不妊治療を受けている病院の主治医に宛てた年賀状に、長男が覚えたての平仮名で一言添えた。「おしごとがんばってください」

 「あなたが生まれるときに、とてもお世話になったお医者さんだよ」と説明はしたが、あまり意味は分かっていなかったようだ。なにしろ、妹を欲しがっている長男は「早く赤ちゃんを買ってきてよう」とねだるくらいだから。

 分かる年ごろになったら、不妊治療の末に生まれたことを説明するつもりだ。

 この記事は2011年3月18日付で、文中の年齢、肩書、名称などの情報は全て掲載当時のものです。

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 2011年、著書「私は、産みたい」で不妊治療を告白した野田聖子衆院議員が出産し、話題を呼んだ。あれから9年。少子化には歯止めがかからず、不妊に悩む夫婦は後を絶たない。この間、「家族づくり」を取り巻く環境はどう変化したのか。男性不妊を取り上げた当時の連載を読み返すと、答えが見えてくる。

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