「あと1回きり」不妊治療、夫婦が決めた“最後通告”

西日本新聞

復刻連載・私たちも、産みたい~夫が不妊の場合<6>

 〈夫〉下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、では妻がかわいそうだ。そろそろ見極めたい。

 〈院長〉あなたたちは良い卵子が採れている。可能性があるのに、ここでやめてほしくない。

 〈夫〉じゃあ、あと1回きりでお願いします。

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 妻は隣でじっと黙っていた。病院への「最後通告」は自分たちに向けたものでもあった。

 1カ月前、別の不妊専門クリニックで受けた診断がきっかけだった。妻のホルモン検査を終えた医師は、はっきりと告げた。

 「この値だったら、出産は奇跡的です。どちらかというと(生理が)終わりに近いという方が妥当です」

 お互い42歳で結婚し、昨年、45歳で不妊治療を始めた。男性不妊と晩婚。二つのハードルが決して低くないことは認識していた。

 それでも、2度も命を宿した妻は落ち込んだ。

 「いちるの望みに懸けて、というのはもうやめよう」「私たち、頑張ったよね」。2人で話し合い、季節が暖かくなったら最後の顕微授精をすることに決めた。

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 妻とは予備校時代、一緒に机を並べた。お互い異性関係には奥手で、約20年ぶりの同窓会で再会したときは独身同士。「この人だったら、親きょうだいの中にも溶け込んでくれる」と確信し、交際を申し込んだ。

 糖尿病を患っていた。だが、その持病が生殖機能にまで影響しているとは思いも寄らなかった。精液が少ない。病院で検査すると、精液が膀胱(ぼうこう)に逆流する逆行性射精を併発していることが判明した。

 2人とも「絶対に子どもを」というわけではなかった。「晩婚だから、夫婦2人でやっていこう、という暗黙の了解はあった」。男性不妊が顕微授精で克服でき、高齢出産も不可能ではないと知り「試しに1回」のつもりだった。

 収まらなかった。2回目で着床に成功し、心拍も確認できた。夫婦で育児書を買いに出掛けたり、名前を考えたりしたが、妊娠9週で流産した。「初めておなかに子どもを宿して、すごいことだと思った」と感動する妻を止めるわけにもいかず、3回目に挑戦。8週で流産した。

 「出産は難しい」と診断されたのは「別のところだったら、うまくいくかも」と救いを求めて訪ねたクリニックだった。

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 実は子どもが大好きだ。道行く人のベビーカーも、ついのぞき込んで「ばあ」とあやしてしまう。おいっ子やめいっ子と遊ぶのも苦ではない。「アンパンマン似」を自認しているが、だからだろうか。同年代の男性と比べ、子どもに懐かれる気がする。

 「あなた、よく赤ちゃんを見てるね」と隣を歩いていた妻が言った。無神経なことをしていたかな、と後で気になった。でもきっと妻は分かっている。

 倦怠(けんたい)期にある夫婦を描いたテレビドラマを一緒に見たときのことだ。「私たちにはこんなこと、あり得ないよね」。ソファで寄り添う妻が漏らした一言を、はっきり覚えている。

 そんなとき、衆院議員の野田聖子さんが50歳で出産した。「この年でも産めるんだね」。テレビの前で、妻がニュースに見入っていた。=おわり

 この記事は2011年3月23日付で、文中の年齢、肩書、名称などの情報は全て掲載当時のものです。

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 2011年、著書「私は、産みたい」で不妊治療を告白した野田さんが出産し、話題を呼んだ。あれから9年。少子化には歯止めがかからず、不妊に悩む夫婦は後を絶たない。この間、「家族づくり」を取り巻く環境はどう変化したのか。男性不妊を取り上げた当時の連載を読み返すと、答えが見えてくる。

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