【コロナ禍の民主主義】 藻谷浩介さん 

西日本新聞 オピニオン面

◆熟議なき多数決を憂う

 民主主義とは何か。「多数決で物事を決めること」なのだろうか。「選挙に勝った者に従え。嫌なら自分が選挙に勝ってひっくり返してみろ」というのは、正しい考えなのか。

 多数決が万能なら、法律も裁判もいらない。学術も倫理もいらない。何かあるたびに、その時の多数派の裁断に従えばよいだけだ。だがそれは、絶対王政における「王様」を、「民衆の中の多数派」に置き換えただけのことではないか。

 絶対君主だけでなく、民衆の多数派も間違える。だから人類は憲法を考え、プロの裁判官を養成し、多数意見とは異なるかもしれない事実を発見すべく学術を発展させた。さらには権力を持つ者に内省を促す、「ノブレス・オブリージュ」だの儒教だのといった、倫理体系もつくり上げてきた。多数決の前に議論を尽くすことで、論点を明確にし納得感を増すという方法も編み出した。これらがセットで民主主義なのである。

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 この秋に行われた、愛知県岡崎市長選や兵庫県丹波市長選では、いずれも新人候補が「コロナ対策として、市民1人に5万円ずつ給付する」との公約を掲げて、現職らに勝った。

 岡崎市で小耳に挟んだ話だが、投票所で係員に「5万円くれるのはどっちだっけ?」と尋ねながら投票した高齢者もいたという。何が何でも当選したい候補者が九州でもまねを始めたら大変だが、これは買収にもなりかねない行為として捜査当局も注目していると聞くから、くれぐれもご注意いただきたい。

 加えてこの公約の実施には、丹波市では30億円以上、岡崎市では200億円近い財源が必要だ。そこまでの負担をして、お金に困らない人を含む市民全員に現金を配る必要はあるのか。両市の住民票の数字を確認してみると、折しも最近5年間に0~4歳の乳幼児が急減している。

 深刻な少子化への対処として、ひとり親家庭や困窮家庭などに、より手厚い支援をした方がいいのではないか。

 このような公約に関し、あしき先例をつくったのは前政権だ。全国民に10万円ずつ、合計10兆円以上支給された現金はどこに行ってしまったのだろう。4~6月の個人消費(持ち家の帰属家賃を除く家計最終消費支出)は8兆円程度落ち込んだのだが、経営の行き詰まった多くの事業者の売り上げは、その後も十分には回復していないのではないか。コロナ禍でも特段収入が減らなかった国民は、10万円をそのまま貯蓄してしまっているものと思われる。

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 もっとも、岡崎や丹波では恐らく、同じく多数決で選ばれた市議会が公約実施を認めないだろう。しかし国政では政権与党が国会でも絶対多数を握り、かつ自党議員の公認権を持っている。

 日本学術会議会員の任命拒否問題が典型だが、現政権は前政権以上に理由を説明しない体質なので、国会は多数決の前に納得感を増すための議論の場としても機能しない。最近の新型コロナの感染再々拡大は、GoToキャンペーンに東京を加えた2週間後の10月半ばから始まっており、ウイルスの潜伏期間が2週間程度であることを考えれば強い関係が疑われるが、政権はそうした緊急事項の討議にすらまともに応じない。

 日本の隣では習近平氏の中国共産党が、何でもかんでも即決と強権で実行に移している。「民主主義イコール多数決」という風潮が強まっているのには、その影響もあるだろう。しかしその先にあるのは、何のことはない民主主義の形骸化、すなわち「日本政治の中国化」にすぎないのではないだろうか。

 【略歴】1964年、山口県徳山市(現周南市)生まれ。88年東京大法学部卒、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。米コロンビア大経営大学院で経営学修士(MBA)取得。2012年1月から現職。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」など。

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