“茶の縁” 戊辰戦争の恩讐摘む 米ワイン園に会津ゆかりの木を移植

西日本新聞 社会面 久永 健志

 米国でワイン事業に成功し「ブドウ王」と呼ばれた薩摩藩士、長沢鼎(かなえ)(1852~1934)ゆかりの米西部カリフォルニア州のワイン園に、福島県・会津若松を由来とする茶の木が移植された。木は戊辰戦争で薩摩藩などに敗れた会津藩の人々が米国に渡り、1869年に持ち込んだものが起源。現地の関係者は「150年の恩讐(おんしゅう)を超えて、薩摩と会津が米国で手を結んだ」と喜んでいる。

 資料や関係者によると、茶の木を米国に運んだのは戊辰戦争後、カリフォルニアに渡った会津の移民団22人。茶と絹で生計を立てようと日本から茶と桑の木を持ち込んだ。しかし米西部は当時、黄金ラッシュのまっただ中。営農に必要な水が砂金採掘作業に回されるなどしたため、木々は枯れて事業は行き詰まった。

 米国在住43年で、全米日系人博物館で歴史の説明員をしている馬上直さんは2017年、会津移民団の木の一部が当時サンフランシスコで販売され、災禍を逃れていたことを偶然知った。曽祖父が福島で茶道を教えていたという馬上さんは、茶の木の“子孫”を入手。「会津の茶をワイン産地のカリフォルニア州で栽培できないか」と現地の農家と協力し栽培を始めた。このほど茶の木を育てていた農園が売却され、長沢のワイン造りを継承する同州サンタローザのワイン農園「パラダイスリッジワイナリー」への移植が決まった。

 長沢は1865年、薩摩藩の命令で英国に留学。後に渡米し、ブドウ栽培技術を習得して成功した立志伝中の人物だ。長沢ゆかりのワイナリーは2017年の山火事で焼けたが、残った畑の一角で会津ゆかりの茶の木約100本は育てられる。

 7日の植樹式には現地のボランティアら約40人が参加。馬上さんは「薩摩と会津が150年を経て、異国の地で平和に新たなレガシー(遺産)を分かち合うことになった。この農園が日米友好と日系人史の新たな一ページになることを願う」と話した。 (久永健志)

PR

社会 アクセスランキング

PR

注目のテーマ