映画『滑走路』非正規で働く彼をなぜ描かないのか

西日本新聞 吉田 昭一郎

 中学・高校時代にいじめで心に傷を負い、通院・療養をしながら大学を卒業し、社会人として非正規雇用で働きつつ、短歌作りに親しみ、歌人になることを夢見た。だが、第1歌集「歌集 滑走路」の原稿を出して間もなく自死する。そんな青年の歌集を原作とうたう劇映画「滑走路」(大庭功睦監督)が全国公開されている。

 その青年は、2017年6月に自死した萩原慎一郎さん=当時(32)。「非正規雇用という環境であえぐ青春像の典型」と、彼が所属した短歌結社の主宰者、三枝昻之さんが評したように、「歌集 滑走路」は、非正規で働いた日々の心情をまっすぐ歌った秀作がそろう。歌集としては異例の3万部を超えるヒットとなった。

 〈夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから〉〈頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく〉。過去のいじめによる心の不調を抱えつつ、正社員との処遇格差と失職の不安を背負うところから生まれる本音を歌にしている。〈箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる〉

 この映画では、同級生たちから執拗(しつよう)にいじめられ、理解者の女子と心を通わす主人公の中学時代は描かれても、非正規雇用で働いて自死に至る社会人生活は描かれていない。原作の本題である「非正規雇用にあえぐ青春」という核心が欠落している。

 萩原さんは〈抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ〉と歌ったように、短歌で不安定な日々に向き合ったに違いない。その葛藤と創作活動に映像でどこまで迫れるかが勝負だったはずだが、短歌作りの場面が全くないのはどうしたことだろう。原作とその映画化にはいろいろな関係性があるだろうが、これで歌集「滑走路」を原作に掲げるのはいかがなものか。

 映画は、主人公の級友たちのその後に焦点を当てている。それぞれ非正規雇用問題を扱う厚生労働省のキャリア官僚と、夫婦関係に悩みを抱える切り絵作家になった元級友2人が物語の両輪になるのだ。社会人になった主人公が出てこない。非正規で働く者の苦悩がなぜ、キャリア官僚の苦悩にすり替わるのか。期待して見た分、欠落感とともに、後味の悪さを感じた。

 新型コロナウイルス禍で非正規雇用の人たちを中心に多くの失職者が出て、自死する人も増えたという。国内で働く人の4割近くになった非正規雇用の人たちが「調整弁」として扱われて人間の尊厳を失い、心身とも疲弊する問題を、コロナ禍があらわにしている。そんな時節だからこそ、映画には非正規雇用の現場を正面から描いて社会に問い掛けてほしかった。

 そして、何よりも、萩原さんの短歌を数多く紹介してほしかった。なぜなら、彼の短歌は、非正規で働く人たちへの励ましに通じる大きさがあるからだ。

 〈牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ〉〈真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい〉

 歌集をひもといてみてほしい。文庫本も出たようだが、本人のあとがきやご両親の手記、三枝さんの解説が載った単行本(発行・角川文化振興財団)がお薦めだ。これまで気付かなかった何かが、鮮やかに目の前に現れるはずだ。 (吉田昭一郎)

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