ジェラシーから「面白き」世界へ ハイテク能楽師・白坂保行【動画あり】
シン・フクオカ人(11)
人生には思いがけずスイッチが入る瞬間がある。
福岡市の能楽師、白坂保行(52)は今春、誰もやったことのない「
能は、面を着けるシテ(主役)や、ワキ(相手役)が
能に詳しくなくても「おっ」と思わせる演出と出来栄え。動画サイトのコメント欄には「カッコイイ」「あまりの素晴らしさに声も出ません」など称賛が相次いだ。
新型コロナウイルス禍をきっかけに、「能楽ちゃれんじ」と題して始めたシリーズ動画は、既に11本になった。撮影から編集まで1人でこなし、「ハイテク能楽師」とも呼ばれる。
◆ ◆
能は、継承されている演劇としては世界最古とされ、ユネスコの世界無形文化遺産に指定されている。鎌倉から室町時代の公家や武家に好まれ、多くの流派で受け継がれてきた。
最初の師匠は、福岡県大牟田市の祖父だった。趣味で能に親しみ、戦後に一念発起して上京、大鼓の家元に弟子入りし、40代で能楽師になったという。
白坂は小学校に上がるとすぐ、三つ上の兄と一緒に祖父から稽古をつけてもらい始めた。でも、中学では卓球に夢中になり、稽古はやめてしまった。
その時がやってきたのは、中学3年の夏だった。
兄が能楽師の叔父(人間国宝)に弟子入りすることになり、付き添って上京した。稽古場には、同じく弟子のいとこ2人もいた。兄やいとこたちが名前を呼ばれ、何度も何度も駄目出しされる。しかし、自分の出番はなかった。
「無性に悔しくて。ジェラシーだったんでしょうか」
福岡に戻る飛行機の中で、再び祖父の下で学ぶ決意をした。福岡高校(福岡市)に進学後は、稽古の休みは木曜だけ。月3回は同県宗像市の実家から大牟田市まで通った。
大人の弟子たちに囲まれ、とにかく難しすぎて分からない。「でも、その底知れない深さが面白くて仕方がなかった」
◆ ◆
19歳で上京し、叔父に師事した。さらに学びと試行錯誤の連続だった。
「叔父のように味わい深い掛け声を出したいが、出ない。声ではなくて息の深さだとは分かっても、それができない」
大鼓を美しい型で打つにはどうすればいいか。そのために古武道も学んだ。刀を抜く動作が似ているのではないかと思ったからだ。だが、うまくはいかなかった。
何よりも考えたのは「能とは何か」。この世の人間ではないシテと、現世に生きるワキとやりとりをする。この世で抱く感情や苦しみは、大したことじゃないと伝えたいのかもしれない。「だけど、それを観客と共有するには、自分自身が人間的に深まっていくしかない」
そのためには、まず技術を高めることだと思う。
「技術を高めようと努力する過程で、必然的に人間性を磨かざるを得ないのではないか。その意味では、自分はまだ5合目です」

◆ ◆
今、公益社団法人「能楽協会」に所属するプロの能楽師は、全国で約1100人。大鼓は、九州では兄と自分の2人だけだ。
能楽師たちは例会と呼ばれる発表会を定期的に開くことで後進を育成し、ファンも維持してきた。しかし、このままでは先細りだ。コロナ禍がそれに拍車をかけた。
だからこそ、新しいことに挑戦したい。最新の小型カメラを購入し、若手ミュージシャンが多重演奏に使う「ルーパー」も注文した。
「絵馬」という演目では、
ハイテク能楽師に、また新たなスイッチが入りそうだ。
=文中敬称略(加茂川雅仁)
◆12月20日、白坂保行さんも出演する「伝統芸能博 集まれ!」(文化庁など主催)の動画が無料配信されます。詳細はこちら