中村八大編<488>黄昏のビギン

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 大分県中津市出身のシンガー・ソングライター、蘭華のカバーアルバムに「昭和を詠う~大切なものへ~」(2011年)がある。この中に中村八大が作曲した「黄昏のビギン」(作詞・永六輔)を収録している。

 <雨に濡れてた たそがれの街 あなたと逢った 初めての夜> 

 「選曲はスタッフと協議しましたが、この曲は私が『ぜひ、歌いたい』と強く希望しました。メロディラインの美しさと作詞のきれいさがマッチした昭和の代表曲です」 

 こう語る蘭華がこの曲に触れたのは、ちあきなおみの歌であった。ちあきはこの曲をカバーアルバム「すたんだーど・なんばー」(1991年)に収録、シングルカットもリリースした。ちあき盤によってこの曲はよみがえることになる。 

 カバーされる曲は名曲の証明だ。「黄昏のビギン」は今日までちあきや蘭華のほか、中森明菜、高橋真梨子、井上陽水など20人以上がカバーしている。 

   ×    × 

 「黄昏のビギン」を最初に歌ったのは水原弘だ。水原は59年の「黒い花びら」のヒットを受けて、約4カ月後に「黒い落葉」を発売、そのB面が「黄昏のビギン」だった。 

 ビギンはラテンアメリカの音楽リズムで、米国のコール・ポーターが作曲した「ビギン・ザ・ビギン」(1935年)によって広まった。ジャズのスタンダード曲として定着している。中村はジャズピアニストとして何度もこの曲は演奏していた。中村が当時、ビギンのリズムを取り入れたのはやはり、常に新しいものを求める革新的な姿勢を示すものである。 

 作詞について、永は「名前を貸しただけ」といった趣旨の話もしている。つまり作詞も中村、と言っているわけだ。この真偽について、中村の長男の力丸は次のような見方だ。 

 「当時の永さんとの関係性から名義貸しということはあり得ないと思います。二人の創作におけるキャッチボールの過程で楽曲はその姿を変えるということだと思います」 

 永の発言の裏に、一作一作ごとに表現者同士の火花が散っていることを垣間見ることができる。 

 中村はちあきの力を評価していた。中村の作曲、永の作詞、歌はちあき。カバー曲ではなく新曲の企画が浮上したことがあったが、中村の体調が悪く流れた。 ちあきは「黄昏のビギン」をカバーした翌年の92年に活動を休止、芸能界から姿を消した。同年に中村は死去した。

  =敬称略

  (田代俊一郎)

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