今も昔も変わらない親心 26歳が聴いた仕事唄(6)

西日本新聞 筑豊版

 驚いた歌がある。

 ♪七つ八つからカンテラ提げて 坑内下がるも親の罰 ゴットン

 カンテラは真っ暗な坑内を照らす明かり。7歳、8歳ということは小学生くらい。最初に聞いた時、なぜそんなに幼い頃から坑内に入っているのだろうと疑問に思った。炭鉱絵師の山本作兵衛さんは、これをつぶやくように歌う。

 当時の子どもはカンテラを磨いたり弟妹の子守をしたり、できる範囲で親を手伝った。「親の罰」は「バチ」と歌われ「小さい頃からこんなに危険な場所で働かせてごめん」という親の申し訳なさがにじむ。

 田川市石炭・歴史博物館が発行した炭鉱労働者の証言集に、祖父母が夫婦で坑内に入り、子育てが大変だったと聞いた男性の話が残っている。

 「うちの母が(自分の)弟を背負って、時間になるとカンテラさげて坑内に行って、母親の乳を飲ませて上がっていった」

 博物館を訪ね、当時、地底で働いていた人たちの再現を見た。写真や絵で見てきた坑内の印象とはまた違い、薄暗く、狭くて今にも天井が落ちてきそうな圧迫感がある。いつ事故が起きるか分からない危険な場所に、やむを得ず子どもを連れてこなければいけない親のつらさを感じた。

 同市で語り部として活動する原田巌さん(79)の父は、坑内で二度生き埋めになりかけたそうだ。一度出勤すれば、無事に帰宅できる確証はない。現代にそんなに危険な仕事があるのか考えてみたが、すぐには思い浮かばない。原田さんの父は、仕事に行く前、必ずこの歌を歌った。

 ♪夜の三番方乞食に劣る 乞食は夜寝て昼稼ぐ

 三番方は午後9時から翌朝7時までの勤務。昼間に活動する「乞食」の方がいい暮らしだと歌う。原田さんは思い返した。「父は坑内のにおいがしたら気合が入ると言っていた。強がりだったのかな」

 原田さん自身は閉山に伴い、炭鉱には勤められなかった。父には「ほっとした」と言われたという。私はこの会社に一度落ち、繰り上げ合格した。振り返れば落ちた時、日頃から「記者はきついけんやめとけ」などと言っていた元新聞記者の父からは「まあよかたい」と言われた。炭鉱現場とは大変さの次元が違うと思う。だけどわが子をきつい目、危険な目に遭わせたくないという親心は今も昔も変わらないのかもな。

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