江戸から紡ぐ大小の「物語」 天神まち歩きルポ(下)
福岡市の再開発促進事業「天神ビッグバン」で高層ビルの建設が進む福岡市・天神の大名地区。九州大芸術工学部の学生ら8人と街の魅力を探し歩くと、歴史が織りなす「物語」が見えてきた。(吉田昭一郎)
幕末期の1855年に創業した醤油醸造業「ジョーキュウ」の店舗=地図(7)=は、紺屋町商店街にあって城下町だったころのままの鍵形街路に面していた。
仕込蔵(62年築、国指定の登録有形文化財)が今に残るのは、奇跡的とも言える。太平洋戦争時、市中心部の多くを焼いた福岡大空襲の猛火が迫ったが、寸前で免れたという。
店舗に入ると、奥のガラス戸の向こうに仕込蔵のほか、米蔵、屋敷などが中庭を囲むように立っていた。いずれも同文化財だ。「繁華街の一角に江戸時代の建物と緑があるなんて、想像もできなかった」。学生たちは興奮気味だ。中庭は今後、地域の憩いの場として活用されるという。
同社の経営者宅だった「松村家住宅」(1936年築)=地図(2)=も同文化財。2005年の福岡沖地震で一部破損したが、補修して文化イベントに開放している。
数々の戦争も災害も乗り越えてきたジョーキュウの歩みを思えば、街の景色も違って見えてくる。
「天神ビッグバンで間違いなく街の雰囲気が変わる。だからこそ、人と人の関係が親密で温かみがある大名の良さを残していかなければ、と思う」。社長の松村克己さんは言う。
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ジョーキュウのすぐそばにある和菓子店「駒屋」=地図(6)=は、創業90年近くになる。この地が福岡大空襲の戦災復興土地区画整理事業で整った時、近くから移ってきた。
2代目店主の小島栄次郎さん(72)が妻や次男と営む。あんこにこだわりがある。「既製品は使わず、上質な北海道産の小豆、大納言で手作りします。(初代の)父は『質を落としたらいかん』と、やかましかった」。主婦や若い女性が立ち寄る。福岡ソフトバンクホークスの選手も買いに来たという。
国際ビジネス・観光都市を目指すビッグバン構想の「大きな物語」とともに、地域で愛される個人商店の「小さな物語」の連なりが、街の底力につながっていると感じた。
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天神の隅っこの那珂川へ足を延ばす。西中島橋のたもとに、彫刻家の冨永朝堂のブロンズ群像「昇る・生まれる・歩く」=地図(13)=がある。
福岡市が1972年、戦災復興土地区画整理事業の完成を記念して建てた。台座には「約六万人、戸数約一万三千戸」という大空襲の被災状況が記されている。
群像は、細長い人物像が左に4人、中央に3人、右に3人。それぞれ「昇る」(戦災の死、昇天)、「生まれる」(復興で生まれ)、「歩く」(発展へ歩きだす)との意味が託されたという。
「『昇る』は人間的な顔つきで、『生まれる』で顔が失われ、『歩く』でまた顔が形作られ始める。これからこの街や市民は何にでもなれる、というメッセージに感じた」。そんな感想を漏らす学生もいた。
市の発展の起点を示すブロンズ群像は、天神で唯一、福岡大空襲の歴史を伝える。再開発で更新を重ねても、重ねてきた歴史がどこかにのぞいてこそ、街の魅力は増すだろう。
この群像の存在を学生たちは知らなかった。「知らせるためのアクションがほとんどなされていないのではないか。ちょっともったいない」。そんな声が上がった。