鷹山に学ぶコロナ対策 前田隆夫

西日本新聞 前田 隆夫

 <盗人を見てから縄をなうというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目に付きます>

 大正時代、歌人の与謝野晶子スペイン風邪対策の遅れを批判する原稿を新聞に寄せた。子ども11人が次々に感染したのに、休校や人々が密集する店、工場などの一時休業が後手に回っていると政府に矛先を向けた。

 歴史学者の磯田道史さんの近著「感染症の日本史」(文春新書)は、こんなエピソードが豊富だ。天然痘、コレラやインフルエンザに、為政者や庶民がどう向き合ってきたかがよく分かる。

 江戸時代は、藩によって感染症対策が違っていた。

 岩国藩(山口)は、天然痘の患者を城下から離れた村に隔離した。今でいう接触者も含め隔離を徹底し、生活費を藩主が負担した。大村藩(長崎)も患者を山中の小屋に隔離したが、食料や薬の費用は家族の負担だったので、家計は破産するほど厳しかったという。この時代も公的給付の持つ意味は大きい。

 米沢藩(山形)の藩主上杉鷹山(ようざん)は、感染で困窮している領民は申し出るように促し、手当を支給した。江戸から呼び寄せた専門医に対策の指揮を執らせ、城下町と周縁部の医療格差がないように配慮している。まさに領民ファースト。倹約を率先し、財政破綻から藩を救った鷹山は、感染症対策でも名君だった。

 感染症の流行という非常事態における藩政の差は、日頃の施政の差ではないか。現代の新型コロナウイルス対策も同じことが言えそうだ。

 兵庫県明石市は、国の定額給付金を生活に困っている市民に先行支給した。給付の対象にならなかった新生児にも「育児にさまざまな負担が生じるから」と、赤ちゃん応援給付金10万円を創設。ひとり親家庭には児童扶養手当を5万円上乗せした。

 もともと「こどもを核としたまちづくり」「誰一人取り残さないまちづくり」が市政の柱。矢継ぎ早の独自策は、明石市にとって当たり前だったのかもしれない。

 コロナ禍で多くの暮らしが傷んでいる。とりわけ雇用の不安定な人、生活困窮者にしわ寄せがきている。この実情を自治体は把握できているだろうか。日頃から問題意識を持つ職員や首長がいる自治体なら、声なき声に耳を澄ませ、機敏に対策が打てる。

 コロナ対策は医療、経済から教育まで「前例がない」といわれる。確かにそうかもしれないが、米沢藩や明石市の事例をみると、案外、平時の延長線にあるように思える。 (佐世保支局長)

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