無能と言われた男たち

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 日本軍とソ連軍が衝突した1939年のノモンハン事件は、勝ったソ連側もまた膨大な損害を被った。モスクワへ戻った軍団長のジューコフは、スターリンから敵の評価をただされて、次のように答えている。

 「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」。半藤一利著「ノモンハンの夏」(文春文庫)より。

 ジューコフが言う「高級将校」とは、高位の将官や参謀を指す。その中には2年後の12月8日に始まる太平洋戦争でさまざまな醜態を見せた者がいた。兵士や従軍記者が証言している。

 米軍の上陸が迫るフィリピンでは「東条英機の腰巾着(こしぎんちゃく)」と言われた冨永恭次陸軍中将がありもしない出張を「命じられた」と言い、マッサージなど身の回りを世話する部下だけを連れて飛行機で台湾へ逃れた。日頃、特攻兵を「諸君ばかりを死なせはしない」と追い立てていた男だった。鴻上尚史著「不死身の特攻兵」(講談社現代新書)より。

 加東大介さんは復員後に映画「七人の侍」などに出た名優だが、戦時中はニューギニア島西端のマノクワリにいた。そこで飢えとマラリアに苦しむ兵士を励ますために、ジャングルを切り開いて造られた劇場で仲間と芝居を演じ続けた。

 加東さんがその思い出を書いた「南の島に雪が降る」(ちくま文庫)にも、兵たちをあきれさせた「首脳部の某将官」の話がある。

 某将官はマノクワリにいた陸軍兵士の半分に近い1万人に転進命令を出した。転進とは退却を美化して使われた戦時中の言葉。加東さんは玉砕覚悟の残留組に入れられ、南の方へ転進していく兵たちを心の底からうらやみ、遺品や遺書を託した。ところが。

 「あとで聞いたところでは、某将官は自分でこわくなったのだそうである。転進命令をだすと、自分はサッサと軍幹部といっしょに、最後の飛行機でイドレーへ飛んで、ちょうど、そこにきていた飛行機で、さらに内地まで帰っていった」

 某将官が転進させて放り出した部隊は、山中をさまよった末に、飢えと病で次々に倒れ、白骨となっていった。「ニューギニア死の行進」である。

 61年の映画「南の島に雪が降る」(久松静児監督)は、この本を原作とし、加東さんが自らを演じた。ロケは鹿児島県指宿市で行われた。森繁久弥さん演じる中隊長が、明日は一緒に死地へ向かう部下たちを慰めようと舞台に上がり「五木の子守唄」を歌う場面は涙ものだ。題の元となった、北国出身の兵士が紙の雪が舞う「瞼(まぶた)の母」を見ながら事切れる姿も胸を打つ。

 今年8月、東宝が新しいDVDを発売した。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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