「一致団結せよ。少年兵隊である」子の戦意高揚図る講話原稿

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(23)

 鯰田国民学校と印字された罫紙(けいし)に、「十八年第一回大詔奉戴(たいしょうほうたい)日講話要項」と題された原稿が記されている。日米開戦から1年が過ぎた1943(昭和18)年の年頭、1月8日に飯塚市の小学校で高学年の子どもたちに向けて語られたであろう校長講話の原稿だ。

 話の始まりは、愛国精神が表現された名歌として、前年に情報局が発表したばかりの「愛国百人一首」だ。古代の和歌や岩戸開きの神話を取り上げた緒言には、中国や東南アジアへの侵攻を正当化する標語として掲げられた「八紘一宇(はっこういちう)」(世界を一つの家にするの意)の文字も見える。

 41年12月8日にハワイ真珠湾の奇襲攻撃、マレー半島の上陸作戦により日本軍は米英軍と戦闘状態に入り、天皇の詔書が発せられ宣戦が布告された。政府はその翌月の1月2日の閣議で毎月8日を「大詔奉戴日」と定め、以来終戦を迎えるまで、国家を挙げての戦争遂行の意識を高め、広く国民に浸透させるため、大政翼賛会の元で、開戦の詔書奉読式、遠く離れた皇居を拝む宮城遥拝(ようはい)、神社等への戦勝祈願などが全国各所で執り行われた。

 小学校は41年4月から国民学校と呼称が変わり、愛国心を養い戦意を高揚するための教育が行われていった。写真の大詔奉戴日講話要項には、12月8日の開戦を源頼朝の決起の故事になぞらえて「縁起がいい」とし、「元寇(げんこう)は北から来たので北条氏が勝ち抜いた。大東亜戦争は東から来たので東條氏が護(まも)り勝ち抜く」、実行事項は、「公明正大」「整理整頓」「廊下を走るな」「本を読め」「一致団結せよ。少年兵隊である」と続く。

 朗読、合唱の後に「これがアメリカ反攻に対する君たちのしっかりした心掛(こころがけ)になるのだ」「弾丸切手を買おう」と、軍事費を賄うために郵便局で発売されていた「弾丸切手」(賞金くじ付きの貯金切手)にまで言及している。

 43年の年明けは、日本軍はミッドウェー海戦、ガダルカナル島戦と敗戦を重ね戦局が大きく転換していたころである。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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