中村医師は「まるでロックスター」 音楽評論家・渋谷陽一さん語る

西日本新聞 社会面 井崎 圭

 アフガニスタンで人道支援に徹した中村哲医師(享年73)が亡くなって4日で1年。生前の中村さんを知る人々が、功績や信念、人柄をさまざまに伝えている。音楽評論家で出版社「ロッキング・オン」社長の渋谷陽一さん(69)もその一人。ロック評論の第一人者が15年近くの取材で感じたのは「ロックスターのようなオーラ」だった。

 テロの報復として米国などが2001年に始めたアフガン空爆を≪出来の悪い西部劇≫とこき下ろし、03年からの自衛隊のイラク派遣は≪一口で言って愚かですね(笑)≫。国際貢献の名を借りて金集めに執着する非政府組織(NGO)を≪オフィスは豪華に構えて危険な作業には現地人を雇う≫と突き放す。

 総合誌「SIGHT(サイト)」で渋谷さんが聞き手を務めたインタビュー記事には、中村さんの生々しい本音が並ぶ。02~16年に9回掲載した計6万字に及ぶ記録だ。

 渋谷さんは社名と同じ洋楽誌と邦楽誌を創刊。デビッド・ボウイさんやミック・ジャガーさんら世界的ミュージシャンのインタビューを手掛けてきた。1999年に創刊した総合誌では責任編集者として社会や国際問題に切り込み、多くの政治家や文化人にも取材した。

 中村さんとの出会いは、米中枢同時テロが起こった2001年。アフガンの実情を知ろうと、現地で井戸掘りを続けていた中村さんに取材を申し込んだ。初対面からファンになり、交流が続いた。

 「会うたびに『私もやらなきゃ』と刺激を受ける特別な人だった」。取材する時は「ミュージシャンと会うよりうきうきしてますよ」と周囲に驚かれた。

 アフガン人たちを鼓舞する中村さんのドキュメンタリー映像にしびれた。「まるで(ロック歌手の)ブルース・スプリングスティーン」。ミュージシャンがライブで放つようなオーラがあった。「エモーション(強い感情)を持った言葉だからこそ、仲間がついてきていた」

 ≪政治家よりSIGHTに来て意見を述べた方がいい(笑)≫。中村さんも講演などでは見せない等身大の語り口で応じた。「『渋谷さんはロックだからねえ』と言っていた。普段と違うギアが入っていたのでしょうね」

 一年の多くを異郷で過ごした中村さん。「日本でもう少しゆっくりしたくないですか?」と質問したことがある。答えは「いち早くアフガンに帰りたい」。

 「現地で生きる時間こそが中村さんの『かけがえのないもの』だった。自己犠牲ではなく、緑豊かになるアフガンに心から喜びを感じていたからこそ、素晴らしい功績が残った」

 突然の死を受け、2月にインターネットの特設サイトでインタビュー記事全文を公開した。「中村さんを継ぎ、伝えていくのは、影響を受けた人間の仕事だと思う」 

(井崎圭)

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