中村哲医師の記憶、語り継ぐ 少年時代知る人たち、心の宝に

哲ちゃんの海山(下)

 福岡県古賀市の東端、薦野(こもの)から大根川を遡(さかのぼ)ると「清滝(きよたき)」と呼ばれる清流の地がある。昭和20年代終わり、小学生の「哲ちゃん」こと中村哲が昆虫採集に通い詰めた場所だ。そのころ薦野の農業青年だった水上武美(83)は、スギの苗木を背負って清滝を植林に駆け回っていた。戦後復興で木材が高騰し、古賀に買い付け人が殺到していた。「清滝のどこかで、すれ違っとったかもしれんね」。当時、いずれ2人の動線が重なり合うことを知る由もなかった。

 哲ちゃんと清滝に虫採りに通った阿部成仁(74)は中学以降、別々の道を歩んでからも折々、哲ちゃんと会った。九州大医学部に進学した哲ちゃんは高価な医学書代に苦労しており、国鉄古賀駅で一緒にあんパンをかじりながら「金がない」とため息をついた。宿題の英語の本を哲ちゃんに翻訳してもらってコピーを学友たちに売り、その金を山分けしたこともある。

 互いに就職したある日、コーヒーを飲みながら哲ちゃんが「アフガンの山に行こうと思う」と言い出した。山への憧れがまだ続いているんだなと思っていたが、いつの間にか現地で医療活動をしていて驚いた。

 パキスタン、アフガニスタンでらい治療を始めた哲ちゃんは1983年に「ペシャワール会」を結成して募金を呼びかけたが、あまりに遠い地の話で、なかなか理解が進まない。旧友たちも「正直よくわからなかったが、哲ちゃんが頑張っているなら」と手助けした。活動報告の場を設け、募金にも協力した。

 樫山俊明(74)はいつも講演会場へ車で送迎した。小学校での講演に出向いた哲ちゃんは、いったんは壇上で話し始めたが、演壇を降りて「みんなで輪になって話そうや」と子どもたちを周囲に集めた。

 昆虫採集の思い出がある清滝に、哲ちゃんはペシャワール会の仲間も連れて通った。約20年前、遠い地で休みなく働く哲ちゃんを癒やそうと、住民が五右衛門風呂釜を持ってきて、川のそばで沸かしたことがある。元古賀町職員、加藤潤二(69)は、湯につかった哲ちゃんが「ふるさとはいい」とつぶやくのを聞いた。

 昨年の冬、あの遠い地で哲っちゃんは逝った。春を迎えると、住民グループ「薦野の歴史をつなぐ会」は清滝の山小屋周辺を探し、さび付いた風呂釜を見つけた。さびを落とし塗装や水漏れ補修をして保管した。

 会長は、かつて農業青年として清滝を駆け回っていた水上だ。映画「花と龍」の義侠心(ぎきょうしん)の世界と同じ匂いを感じ、60歳を過ぎてペシャワール会に入った。初めて会った哲ちゃんが自らの原点として清滝の思い出を語るのを聞いて感動した。その著書を読むと清滝にある堤(農業用ため池)の話が出てくる。アフガンで用水路開拓に取り組む中で、日本の昔ながらのため池の構造が、いかに理にかなっているかを書いていた。

 命日の4日、古賀市での追悼対談会。哲ちゃんの母校、古賀西小の卒業生も聞く中で、水上も思い出を話した。「哲ちゃん」がこの地にいた記憶のかけらを集め、語り継ぐ。それはとても誇らしい仕事だと思う。(敬称略)

(今井知可子)

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