消えない烙印…獄中34年、釈放後も苦悩 冤罪と闘い続けた免田栄さん

西日本新聞 社会面 御厨 尚陽 一瀬 圭司 川口 史帆 木村 知寛

 「浦島太郎になった気がした」。34年半にわたる獄中生活を経て、57歳で釈放された免田栄さん(95)。故郷には戻らず、福岡県大牟田市で余生を過ごした。元死刑囚という消えない烙印(らくいん)を押された免田さんを支えたのは、妻玉枝さん(84)であり、おおらかな炭鉱街の気風。地域に深く根を下ろし、最後まで死刑制度廃止を訴えた。

 夫婦の出会いは再審無罪を勝ち取った1983年。翌年、玉枝さんの家族や親族の反対を押し切って結婚し、大牟田に住んだ。

 「自由社会に帰ってきました」。無罪を勝ち取った直後、こう喜んだ免田さんだが、その後の生活は言葉通りにはいかなかった。

 免田さんは釈放後、世間の目を気にし続けた。「人殺しをしてうまく逃げたね」「おまえはゴネ得だ」。職には就けず、街で会う人には視線をそらされ、中傷の手紙や電話も続いた。

 神経が太く、気にしない性格と語る妻が心の支えだったが、玉枝さんは離婚を考えた時期があったという。結婚当初の数年間。免田さんは酒に酔うと「俺が死刑囚だからか」と暴力を振るった。眠れば死刑執行の夢にうなされ、奇声を上げて跳び起きた。

 時間の流れとともに地元での理解者も増え、鋭かった目つきは丸くなり、暴力も収まった。特に炭鉱マンたちと気が合った。大好きな焼酎を酌み交わし、自宅そばの畑で育てた野菜や花を配って回った。「主人は『気遣いをしなくていい』と炭鉱の街を気に入っていた。周囲の人に恵まれた」と玉枝さん。

 「人のすることに絶対はない」。訴え続けた免田さんへの講演依頼は次第に減り、事件の風化を実感した。晩年は認知症を患い、玉枝さんと大牟田市の高齢者施設で過ごした。それでも拘置所時代の記憶は鮮明に覚えていた。昨年、熊本大文書館(熊本市)に自身の再審や死刑に関する資料を寄贈し「残した記録が今後の司法に役立てば」と語っていた。

 5日。玉枝さんが「頑張らんとでけんよ」と励ますと、穏やかな笑みを浮かべ、眠るように息を引き取ったという。自宅には拘置所時代に祈る思いで再審請求書を書き続けた机が残る。玉枝さんは形見とともに免田さんの遺志を継ぐ。「死刑廃止は私たち夫婦の宿命。冤罪(えんざい)の犠牲者が生まれない社会に変わらないといけない」。涙声で語った。

 (御厨尚陽)

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